第八百七十八夜 鈴木真砂女の「卯波」の句

  戦争の真のおそろしさ    長島伸一

 クリミアの悲劇とは、それは、イギリス陸軍に内在する組織的欠陥であり、かずかずの不合理な規則であり、それにがんじがらめにしばられた将校たちの無責任な体制だったのです。もはや、看護以前の、あるいは看護をこえる問題というべきでしょう。じっさい、ナイチンゲールは、1855年5月につぎのように記しています。
 「戦争のおそろしさはなにか。それはちょっとだれにも想像できないでしょう。それはけがでもなければ血でもなく、突発熱や体温低下や急性・慢性の赤痢でもなければ寒冷でも酷暑でも飢えでもありません。それは兵卒においては、アルコール中毒と泥酔による陰謀、無関心と利己的な行動、これらこそが戦争の真のおそろしさなのです。」(『ナイチンゲール』岩波ジュニア新書)

 今宵は、鈴木真砂女の「卯波」の句と「黒南風」の句を紹介しよう。

■1句目・卯波

  あるときは船より高き卯波かな  第1句集『生簀篭』
 (あるときは ふねよりたかき うなみかな) 

 鑑賞してみよう。  
 
 海岸に近くで漁をしている、それほど大きくない船であるが、海には卯波が立っている。ときどき水しぶきが船に入ってくる。あるときは、船よりも、もっと高い卯波がザブーンと船に飛び込んでくることもあるのですよ、となろうか。

 まず「卯波」とは、5月の卯の花の咲く頃の波をいう。低気圧や不連続線の通過によって、川や海に白波が立つのである。波の横幅はおよそ20メートルで、卯波が白く波立ち上がって、崩れるときは、美しいと思うほどで暗さというものはない。

 千葉県の鴨川生まれの真砂女は、海を愛し、海を詠んだ句も多い。

  春の波くづるゝことを忘れしや  『卯浪』
  初夢の大波に音なかりけり  『都鳥』
  初凪やものゝこほらぬ国にすみ 『生簀篭』
 
 丙午(ひのえうま)年の生まれの女性は気性が激しく「夫の命を縮める」という迷信がある。その丙午生まれの真砂女は、2度の結婚と1つの恋を通奏低音としているかのごとく、その俳句は故郷である安房上総の外海が原風景である。外房の荒海は真砂女の激しさも悲しさも全て受け止め、波音が愛撫のごとく慰めしづめてくれるのであろう。
 
 真砂女は、〈羅や人悲します恋をして〉のような恋の句を多く詠み、〈今生のいまが倖せ衣被〉と詠み、俳句仲間が集いくる銀座の小料理屋「卯浪」での仕事が何より好きであった。
 私も1度だけ、「炎環」の石寒太主宰と夫と一緒に、東銀座の横丁の奥の「卯波」に立ち寄ったことがあった。

 鈴木真砂女(すずき・まさじょ)は、明治39年(1906)-平成15年(2003)、千葉県鴨川生まれ。離婚後、生家の旅館吉田屋にもどり、亡き姉の夫と再婚して旅館を継いだが、家を出て、銀座で小料理屋「卯浪」を経営。「春燈」に所属して久保田万太郎、安住敦に師事。句集は、『生簀籠』(昭30)、『卯浪』(昭36)、『夏帯』(昭44)、『夕蛍』(昭51)、『居待月』(昭61)、『都鳥』(平6)、『紫木蓮』(平10)の7句集で、第7句集の『紫木蓮』により蛇笏賞受賞。

■2句目・黒南風

  黒南風や波は怒りを肩に見せ  鈴木真砂女 第4句集『夕螢』
 (くろはえや なみはいかりを かたにみせ)  

 今日、改めて掲句を読み返してみた。黒南風の頃の浪の激しさを「怒りの肩」のようだといい、「波は怒りを肩に見せ」と詠んだ。
 大波が海に盛り上がって進んでくるときの波は、まさに、肩を怒らせている形であった。