第八百八十一夜 高浜虚子の「蜘蛛」の句

 わが家を出るとすぐの曲がり角に大きなレストランの駐車場がある。夜の犬の散歩の時間には街燈は煌々としている。今、街燈のすぐ横には大きな蜘蛛の巣ができている。この街燈の周りを虫たちが盛んに飛び交っていて、すでに蜘蛛の巣に掛かっている虫たちもいる。昆虫たちである。わたしが見た中で大きな虫はトンボやチョウであるがが、ほとんどはもっと小さな虫たちである。
 
 ある時、傍を通りかかると、大きな蜘蛛と目が合ったような気がした。蜘蛛の囲の端っこに大蜘蛛がいたのだ。まさか人間の私を捕まえようというわけではないだろうが、じっと動かずに細く長い脚をふんばっている。蜘蛛の気配は気持ちのよいものではなかった。
 
 今宵は、「蜘蛛」「蜘蛛の囲」の作品を見てみよう。

 1・背景

  蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな  高浜虚子 『七百五十句』
 (くもにうまれ あみをかけねば ならぬかな) 

 これまでにも何回か鑑賞したことがある作品である。だが今宵は、それでよかったのかどうかと思い返すつもりで、『句日記』昭和31年から昭和34年3月まで読みなおした。虚子5句集最後の『七百五十句』の中の蜘蛛の2句を読んだ時よりも「句日記」には12句もあるからであるが、水が流れてゆくような虚子の心の流れを感じた。昭和31年7月17日、夏の稽古会での作品である。
 
 まず、昭和31年7月17日の12句を「句日記」より、次に記す。
  
  用ゐねば己れ長物蠅叩        ※「長物」は、ちょうぶつ
  蠅袖に這入りぶんぶん云うてをり
  藪の穂のやゝさやぎをり稲光
  まん圓く刈りし躑躅に蜘蛛の網    ※『七百五十句』入集
  蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな  ※『七百五十句』入集
  曩中無一物夏蝶飛んで現れ来     ※「曩中」は、のうちゅう
  空間を遠雷のころびをる
  浴衣著てわれも仏と山寺に
  旅鞄開けて出したる古浴衣
  よき浴衣女の聲は華やぎてと
  浴衣著て浴衣の句でも作らばや
  雑巾になりし絣の古浴衣
 
 昭和27年7月6日、千葉県神野寺の住職でホトトギスの俳人であった川名句一歩(かわな・くいっぽ)の追悼句会で、虚子が投句したのが次の句であった。
 
  蜘蛛の囲の人を捕らんとかゝりをり 「ホトトギス」7月号
  
 神野寺の追悼句会で出合った蜘蛛を考えていた虚子は、この句が浮かび、さらに次の文章を、「ホトトギス」7月号に載せている。
 「…その蜘蛛の網が八畳敷、十畳敷といふやうな大きなものとなつて、人間がその中に引かゝつても足掻きがとれず、遂に蜘蛛の餌食となるやうな事になるのかもしれぬと思はれた。」
 
 2・鑑賞
 
 毎朝の庭の散歩のたびに、虚子の目の前には蜘蛛の囲ができている。避けて通る場合もあるが、ステッキで片端から蜘蛛の巣を壊し剥ぎ取ってしまう場合もある。

 そして、1の背景が下敷きとなって、心に描いたのが巨大化された蜘蛛が、掲句の〈蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな〉であった。巨大化した蜘蛛は人間を捕らえようとしていた。虚子82歳の作品である。
 
 蜘蛛の本意は、案外にささやかな望みであるように感じる。蜘蛛に生まれたからには蜘蛛の囲を張って、そこに迷い込んでくる虫だけを食べて生きなくてはならないのである。中七下五の「網をかけねばならぬかな」からは、人生ならぬ蜘蛛の一生とは、蜘蛛の糸を毎日のように口から吐き出すことに始まり、飛んでくる虫を待ち、うまくいけば食にありつける「生物」なのだ。
 蜘蛛の溜息となって、「生きとし生けるもの」の生き抜く覚悟や辛さが響いてきそうな作品である。
 
 憐れみもある、生きるもの同士の類似点も見える、みんな違ってみんないい。
 
 「ホトトギス」の夏の稽古会は、昭和29年から昭和33年まで5回続けて千葉県鹿野山神野寺で行われており、その句会記録は、神野寺住職でありホトトギス同人の山口笙堂によって『俳録 歯塚』として纏められている。
 昭和31年の稽古会は、7月15日から19日までの5日間。句会は、稽古会4回、土筆会2回、大崎会と地元句会ともの芽会は各1回ずつ行われた。