第八百八十四夜 稲垣きくのの「百合」の句

 中尊寺に向かう7月、夜明け前に練馬の家を出発してハイウェイの東北道を走っていたときのことだ、霧のなかに女の人が佇っているような錯覚を覚えたのがヤマユリであった。百合の中でも花径の大きさが最大級のヤマユリは、本当に人の頭のように見えた。
 夏石番矢の作品に、次の句を見つけた。
 
  さらばみちのく三本の百合は揺れず  夏石番矢

 1本花束にすると気品ある、「百合の王様といわれるカサブランカは、ヤマユリを原種として改良された品種で、名は、スペイン語の「白い家」とも、映画『カサブランカ』に由来するともいわれる。
 主演女優イングリッド・バーグマンを思わせる甘い香りも、花束では強すぎるので、雄しべの花粉のついた葯(やく)は取り除いてあるが、蕾が開きだすと、葯のついた雄しべはまた強い芳香を放ちはじめる。(植物細密画・野村陽子、文・あらきみほ『細密画で楽しむ 里山の草花100』より)

 今宵は、「百合の花」の作品を見てみよう。

■1句目

  ためてゐし言葉のごとく百合ひらく  稲垣きくの 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (ためていし ことばのごとく ゆりひらく) いながき・きくの

 カサブランカの1本は大きな1枝で、買ったときには花が3つ咲いていたが、残りの蕾が1つ1つ開いてゆくには、かなりの日数がかかった。
 
 百合の俳句を探していて、稲垣きくのさんの作品の、上五中七の「ためてゐし言葉のごとく」に出合って、私は先ず「ああ、ほんとう!」と、心に肯いた。合点した。

 女優であった稲垣きくのは、妻子ある実業家との不倫のあった稲垣きくのであった。自分のすべてをあっけらかんと出して生きるわけにはいかない人生であった。百合の蕾がゆっくりひらいてゆく姿に、己の生き方を重ねたのであろう。「春燈」の「婦人句会」所属。

■2句目

  今日殊にカサブランカの香をうとむ  深見けん二 『蝶に会ふ』
 (きょうことに カサブランカの かをうとむ)

 元気な薔薇がちょうど手に入らなかったので、子どもの日のお祝いに、元気なカサブランカを買ってきた。その匂いの強烈だったこと、テーブルに活けていたが、遠くに置き直し、ついに部屋から出して廊下に置いてしまったということがあった。
 
 カサブランカは、活ける前に、雄しべの花粉のついた葯(やく)を取り除いた方がいい。まして、お客様の近くに活ける場合には気を付けるべきであろう。
 
 掲句は、元々カサブランカの強い芳香が苦手であったのか、その日の体調が悪かったのか、ことに、その香を避けたいほど疎む心もちがしたという。

 パーティーの主賓であり、真横に飾られている場合などは辛いであろう。

  長き長きエスカレーター百合抱いて  浦川聡子 『現代歳時記』成星出版
 (ながきながき エスカレーター ゆりだいて) うらかわ・さとこ

 ビルの上階でのパーティが散会となり、会場を出て、エスカレーターで降りてゆくところであろう。百合を抱いているのはきっと浦川聡子さん。1993年には「管楽器の闇」により現代俳句協会新人賞を受賞されている。掲句はその受賞パーティの会場から出てきたときの自画像のように感じた。
 
 大きな百合の花束を抱えてエスカレーターを降りてくる。「長き長き」はエスカレーターの長さであるが、浦川さんの深い喜びから出た表現であろう。
 
 浦川聡子さんは、石寒太先生の主宰する「炎環」で、私も一時期ご一緒したことがある方である。千葉大の音楽科を卒業されている聡子さんからは、俳句作品からも楽器の調べが聞こえてくるようであったこと、詞がシャープであったことを、今また思い出している。