第八百八十五夜 山口青邨の「矢車草」の句

 わが家から少し坂を下ると、関東地方の茨城県を中心に展開している、大きなスーパーのジョイフル本田がある。以前は、近いのに車で行っていたが、大腿骨頸部骨折で手術をして、現在は杖をついている身となった。だからこそ運動をしなさい、と夫からも娘からもきつく言われている。犬のノエルは散歩には連れていくが、買物袋も持つには、手が3つないと足りない。
 今日は、一人でぽくぽく歩いて行った。
 途中、後ろからすーっと追い抜いていった自転車の男の子が、振り返って「こんにちわ!」と挨拶した。どこの子だったかしら・・、そう言えば、先日もこの子とすれ違った・・その時も、「こんにちわ!」と言って振り返った。私が杖をついているからかしら・・! いい子だな!

 今宵は、「ヤグルマギク(矢車菊)」「矢車草」の作品を見てゆこう。

■1句目

  北欧は矢車咲くや麦の中  山口青邨 『冬青空』
 (ほくおうは やぐるまさくや むぎのなか) やまぐち・せいそん
 
 昭和12年、青邨は選鉱学研究のため、ドイツおよびアメリカに留学した。ベルリン工科大学に在籍研究し、その間の旅行では北欧のチェコ、アイルランド、ハンガリー、ベルギー、ノールウェー、デンマークなどに行っている。因みに、この作品は昭和26年の作であるが、昭和12年の北欧での体験を詠んだものであろう。。
 
 ヤグルマギクは、地中海沿岸から西アジアが原産地。この青い花は「小麦畑の雑草として自生」しているという。ナポレオンによってベルリンを追われたプロシアのルイーズ皇后は、皇子と一緒に麦畑に身を潜めて難を逃れ、ヤグルマギクで花輪や冠を作って遊んだという。その皇子は後に、ドイツ皇帝ウィルヘルムになり、思い出のヤグルマギクをドイツ共和国の国花に制定している。
 
 1925年に発掘されたエジプトのツタンカーメン王のミイラの棺の中から、3300年を経たヤグルマギクが発見されたことを、50年ほど前に日本で開催されたツタンカーメン展で知った。
 
 「小麦畑の雑草として自生」の箇所で思い出したことがあった。
 茨城県守谷市から西北に車を走らせると麦畑がつづいているが、その麦畑からぽつんぽつんと飛び出して花を咲かせていたのが矢車草(ヤグルマギク)であった。麦と一緒に植えている・・なんと不思議なことだろう!・・と思っていたが、矢車草は雑草として生えていたのだ。
 
 青邨のこの作品で、私は、矢車草が雑草であることを初めて知った。

  旅遠し矢車草の花乱れ  深見けん二 『父子唱和』
 (たびとおし やぐるまそうの はなみだれ) ふかみ・けんじ

 深見けん二先生のこの作品もまた、新金属協会の視察団の一員として欧米へ約50日間の出張したときの光景であろうが、行けども行けども矢車草が咲き乱れている平原がつづいていた。掲句の矢車草も雑草であり、肥やしの役割もしているにちがいない。

 日本でも休耕田があり、たとえば、一画をレンゲソウを植えている田畑があって、翌年にはレンゲ畑を漉き返せば肥沃な土壌になっている。
 掲句の矢車草も、麦畑に生えている雑草であり、肥やしの役割もしているにちがいない。