第八百八十六夜 深見けん二の「ででむし」の句

「蝸牛」「カタツムリ」は、子どもの頃から、雨の日や雨の後などに見かけて、その愛らしい形から捕まえてきて飼ったこともあるが、子どもは飽きっぽい、同じように飽きっぽかった子どもの私も、きっと野原に放したのだろう、長く飼ったという思い出はなかった。

「ねえねえ、おかあさん、このカタツムリ・・飼っていい?」
「カタツムリも生きているのよ。ちゃんと餌をあげるのよ。できるかしら?」
「うん、ぜったいに大切に育てるから・・ねえ、いい?」

カタツムリに限らず、ヒヨコもそうだった・・いつかしらいなくなったのは何故かなあ!
 こうしたことは、わが子が同じことを母の私にせがみにきたときに、気づいた。
 
 そうよ、生きものを生かしつづけるのは、たいへんなのよ。
 カタツムリはいつの間にか逃げたけど・・ヒヨコはある朝・・死んでいたのよ。
 
 母となった私も、小学3年生の時、ヒヨコを死なせてしまったことがある。ちゃんと憶えている・・。

 今宵は、「蝸牛」「カタツムリ」の作品を見てゆこう。

  ででむしや久女の墓は虚子の文字  深見けん二 『日月』
 (ででむしや ひさじょのはかは きょしのもじ) ふかみ・けんじ

 杉田久女の墓所は、夫の実家のある豊田市小原にある杉田家墓所と長野県松本市の城山墓地の赤堀家墓地(実家)にも分骨されている。松本市の城山墓地に記された「久女の墓」の墓碑銘は長女・石昌子の依頼で高浜虚子が筆を取ったものである。
 
 長野県伊那市に住む植物細密画家の野村陽子さんを訪ねた翌日、お願いして、松本市の杉田久女の墓所へ連れていって頂いた。田辺聖子の『花衣ぬぐやまつわる…わが愛の杉田久女』の墓所を訪ねる場面を思い出しながら探したが、やはり私たちも迷いに迷って、やっと小さな立て札を見つけて、辿り着くことができた。
 赤堀家の墓所は、樹々に囲まれた陽の当たる斜面にある。四基並んだ一番奥が久女の墓で、枯れかかっているが供花が置かれていた。小振りの黒御影石の墓の「久女の墓」と刻まれた虚子の文字を眺めながら、秋の日射しの中で私たちは暫く佇んでいた。
 
 掲句は、深見けん二先生が久女の墓所を訪ねた頃は梅雨時であったのであろう、ででむしが久女の墓にででむしが這っていた。墓碑銘は、けん二先生の師である高浜虚子の、没後30年になる、懐かしい文字であったのだ。

  かたつむりいつもひつこしたのしそう  小3 くらた ひでたけ 『名句もかなわない 子ども俳句170選』
 (かたつむり いつもひっこし たのしそう)

 くらたくんの作品の、すばらしいところは、中七下五の「いつもひつこしたのしそう」である。最初は「ひつこしたのしそう」に、えっ! どうして! と思ったが、かたつむりの大きな殻は、確かに、かたつむりの全財産を背負って引っ越し中のように感じられる。
 
 同じところにずっと居るわけではなく、かたつむりは、殻を付けたまま引っ越し中のように動きまわっている。