第八百八十八夜 山口青邨の「きらら=紙魚」の句

 「紙魚」とは、シミ目シミ科の昆虫の総称だ、とくに古書の害虫として知られる「やまとしみ」のことを指す。最も原始的な昆虫の一種で、羽根もなく飛ぶこともできないが、逃げ足は早い。
 
 湿度の高い場所にも出現するため「湿虫(しみむし)」と呼ばれたり、銀白色の鱗のようなもので覆われていてキラキラ光ることから「雲母虫(きららむし)」「きらむし」などと呼ばれたりする。欧米では英語で「silverfish(シルバーフィッシュ)」という洒落た名前が付いている。
 
 平安時代中期の物語の源氏物語にも登場し、「しみといふ虫のすみかになりて、ふるめきたるかびくささながら、あとはきえず(シミに食べられて古くカビ臭いけれども、文字は消えずにはっきり残っている)」とある。

 俳句本の資料収集をしていた頃、古本屋で購入した書籍から「紙魚」がひょこっと現れたことがあった。1センチほどの黒い虫で、見てあまり気持ちのよい姿ではなかった。

 今宵は、夏の季語「紙魚(しみ)」の作品を見てみよう。

■1句目

  ひもとける金塊集のきらゝかな  山口青邨 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (ひもとける きんかいしゅうの きららかな) やまぐち・せいそん

 金塊集とは『金塊和歌集』のことで、鎌倉三代将軍源実朝の家集である。家集というのは、昔の歌よみの個人の歌集のことである。
 青邨が図書館で、この『金槐和歌集』を閲覧していたときのことだ。『金塊和歌集』は、本の天地や小口に金箔が施されている天金の豪華な古書であった。ひもとくと一匹の「きらら」虫が出てきて、青邨と出合ってしまったという。和紙を好んで食べる紙魚という虫も「きらら」と呼ばれていた。
 
 この作品は、天金の書である豪華本の『金槐和歌集』と、その豪華本を住処としている紙魚という小さな虫の取り合わせの妙と言えるのであろう。

■2句目

  三代の紙魚の更級日記かな  景山荀吉 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (さんだいの しみのさらしな にっきかな) かげやま・じゅんきち

 『更級日記』は、平安時代中頃に書かれた回想録で、作者は菅原道真の5世孫にあたる菅原孝標の次女菅原孝標女。藤原道綱母の『蜻蛉日記』『紫式部日記』などと並ぶ平安女流日記文学の代表作の一つである。

 上五の「三代の」は、掲句の作者景山荀吉家が三代にわたって読み継がれてきたということであろう。三代というと100年以上だから、『更級日記』の中には、三代にわたる手垢ならぬ虫の紙魚たちが、死に変り生き代わりして住みつづけているのですよ、ということになろうか。

■3句目

  逃ぐるなり紙魚が中にも親よ子よ  小林一茶 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (にぐるなり しみがなかにも おやよこよ) こばやし・いっさ

 書を開けるや、中で紙を食べていたであろう紙魚たちは慌てて逃げ出した。同じように小さくて人間には紙魚の親であるのか子であるのか見分けることはできないが、きっと、親の紙魚も子の紙魚もいるのではないかと、一茶は思った。
 
 一茶は紙魚たちが逃げてゆく様を見ていた。生きとし生けるものすべてにやさしい眼差しで接する一茶なればこそ、親の紙魚と同じで、子の紙魚に逃げ遅れるなよ、と念じつつ見ていたように思った。