第八十一夜 後藤夜半の「滝」の句

   滝の上に水現れて落ちにけり  後藤夜半 『翠黛』

後藤夜半(ごとう・やはん)は、明治二十八年(1895)―昭和五十一年(1976)大阪市生まれ。大正十二年より「ホトトギス」に投句して高浜虚子に師事。〈牡蠣船へ下りる客追ひ郭者(くるわもの)〉など、浪花の情趣あふれる作品も多い。後藤比奈夫の父。夜半の弟は喜多流の能楽師喜田実。「諷詠」を創刊主宰。

 掲句の鑑賞をしてみよう。
 
 箕面公園にある落差三十三メートルの箕面の滝である。虚子が花鳥諷詠と客観写生を唱導していた昭和四年の作で、〈滝水の遅るゝ如く落つるあり〉を含め四句が「ホトトギス」の巻頭になった。高い崖の上から流れる水を追いながら眺めていると、滝口に水が盛り上がるように現れては一気に落下している。それが「滝」なのであるが、夜半は、落下する水をスローモーション映像のごとく丁寧に描写をした。
 
 「ホトトギス」では、隔月に雑詠句評会が行われ、巻頭になった句を中心に、数人の担当者が意見を述べる。夜半の句を鑑賞した水原秋桜子が「一種の錯覚を詠んだ句」と評したところ、虚子は、「そう感じるのは知識の働きで、作者は斯く見斯く感じたことを直叙したもの」だと絶賛した。
 こうして、「滝」の句といえば誰もが夜半を思い出し、関東の華厳の滝も袋田の滝も、有名な那智の滝も、どこの滝であっても見るたびに納得させられる作品となった。

 もう一句紹介しよう。
 
  曼珠沙華消えたる茎のならびけり 『翠黛』
  
 彼岸花のこと。新美南吉の童話「ごんぎつね」の中に、彼岸花は墓場に続く道端に咲きつらなっていたという場面があるが、曼珠沙華は、有毒で不思議な咲き方をする花。いきなり茎が伸びてその先端の苞が破れると赤い6個ほどの花が開く。蘂は細くて長くて絡まるほどである。
 中村草田男は〈曼珠沙華落暉も蘂をひろげけり〉と、蘂の広がりを夕焼けの光線のごとくに詠んだ。

 花が溶けるように終わると緑の茎だけがしばらく残っている。花の咲き方も消え方も、ユニークだから「死人花」「地獄花」「狐花」など、墓場に似合う花だといわれる。
 夜半は、華やかであった花が消えて棒のように突っ立って残されている茎を描写することで曼珠沙華の花の全てを見せてくれた。