第八十二夜 後藤比奈夫の「アネモネ」の句

  夜はねむい子にアネモネは睡い花  後藤比奈夫 『初心』
  
 鑑賞をしてみよう。
 
 アネモネは春に咲くキンポウゲ科の花。美しい花びらのように見えるのは六枚から八枚の萼(がく)で、真ん中の黒い色をした蘂を含めた全体が一つの花だという。語源はギリシャ語で「風」。雨の日や曇りの日や夜には、花びらを閉じて眠っているようである。初めてこの句に出会ったとき、なんて素敵、と思った。

 句意はこうであろうか。

 夜になると小さな子は、お母さんの子守唄や童話を読んでくれる声を聞きながらいつの間にか眠っている。夜に仕事から帰ってくるお父さんは庭のアネモネが花を閉じていることを知っている。子の顔を覗きにくると案の定、安らかな寝顔を見せている。子もアネモネも・・花の場合はお日様の光量と関係があるそうだが、ともに夜になれば睡くなる。その正常な健やかな姿を「ねむい子」「睡い花」とお洒落な表現をした。
 
 後藤比奈夫(ごとう・ひなお)は、大正六年(1917)大阪市生まれ。父後藤夜半のもとで俳句を始め、高浜年尾、星野立子に師事、昭和三十六年に「ホトトギス」同人。夜半の没後、「諷詠」を継承主宰。現在は息子の立夫が主宰。比奈夫は名誉主宰で、四月には百三歳となる。〈東山回して鉾を回しけり〉など格調の高さ、〈月よりも雲にいざよふこころあり〉など俳味の豊かさが比奈夫俳句の特長である。「生涯を季題との戦いに終わりたい」と言い、季題の情趣を奔放に拡充する。

 もう一句紹介しよう。

  夕方は滝がやさしと茶屋女 『金泥』
  
 「夕方は滝がやさし」と感じるのはどういうことなのだろう。
 私は故郷の大分県に帰ると、豊後のナイアガラと呼ばれる沈堕の滝を見にゆく。思い返してみると、真昼の滝は落下する水が太陽光線を反射して激しく煌めいていた。だが、夕方帰り道に見た滝には昼間の煌めきは消えていた。

 この滝は、父夜半が〈滝の上に水現れておちにけり〉と詠んだ箕面の滝であろう。このとき「夕方は滝がやさし」と捉えたのは作者の比奈夫ではなく、毎日のように眺めている滝の茶屋女かもしれないが、比奈夫はハッと気づいて詠み止めた。吟行先ではこうしたことに出会うことがある。また積極的に地元の方に聞く場合もある。これも俳句の他力本願の一つと言ってよいであろうか。