第八百九十二夜 高橋悦男の「老鶯」の句 

 ブログ「千夜千句」第八百九十七夜では、2度目となる北茨城の五浦海岸の六角堂行の話を書いた。あと一週間余りで九百夜となる。
 私の喜寿となる日が11月10日。2年前に、この日を目標にはじめたことが「千夜千句」であった。私が転倒して大腿骨頸部骨折で入院し、退院した直後からコロナ禍の日々がはじまった。動けなくても何か出来ることをと考えたことがブログ「千夜千句」であった。
 
 私にはもう一度行っておきたい場所がもう一か所ある。岩手県平泉の「関山中尊寺」である。かつて「中尊寺」の本造りに関わったことがあった。その仕事が一段落した平成11年7月17日の朝のこと、作家の内海隆一郎さんの奥様の弟であり中尊寺円乗院住職の佐々木邦世さんからお電話をいただいた。
 「明日あたり、中尊寺下の水田で、大賀ハスが咲きます。見にいらっしゃいませんか。」
 夫と私は、日付が変わるや、車に飛び乗り、翌18日の夜明け前には中尊寺に到着していた。佐々木邦世さんと約束していた時間は7時であったので、待つ間、夫と私は幸運なことに、咲く前の莟から開花するまでの2時間ほどを、大賀ハスの前に佇つことができた。大賀ハスのことは、「千夜千句」第五百八十一夜で、既に一部始終を書いている。

 もう一度説明させていただこう。

 前回から23年後となる今年、希望通りに大賀ハスの前に佇つことが出来るであろうか・・。

 今宵は、「夏鶯」「夏うぐひす」の作品を紹介させていただく。

■1句目

  老鶯を右に左に舟下り  高橋悦男 『蝸牛 新季寄せ』
 (ろうおうを みぎにひだりに ふねくだり) たかはし・えつお

 筆者の私は、東京にいた頃、関越自動車道の練馬の入口の近くに住んでいた。暇さえあれば高速道路に入り、秩父や軽井沢まで走った。父が元気な頃は長年の友人と秩父巡りをしていたが、老いた父を連れ出したのは、娘の私と夫であった。
 秩父では札所巡り、花の寺巡りもしたが、桔梗寺の美しい濃紫を鮮明に覚えている。一番人が集まるのは荒川の上流にある長瀞(ながとろ)。舟遊びもできるし、道路を挟んで宝登山へのロープウェイもある。冬の山頂では臘梅(ロウバイ)も観た。

 一度だけ舟遊びをした。流れは速く岩畳が多かったが、船頭さんの舵さばきは見惚れるばかりであった。老鶯の鳴き声の記憶が定かでないのは、舵さばきに見惚れていただけでなく、川の流れが恐かったからかもしれない。

  山一つ夏うぐひすの声を出す  平井照敏 『蝸牛 新季寄せ』
 (やまひとつ なつうぐいすの こえをだす) ひらい・しょうびん

 5月半ばに、北茨城の五浦海岸の六角堂を案内してもらった。六角堂へは2度目であったが、東日本大震災の大津波で破損し流された六角堂の改修作業に携わったのは、文化遺産を護ることもしている建設会社の佐藤尚くんであった。夫が高校教師をしていた時代の生徒で且つテニス部の顧問をしていた時代の有力選手であったのだ。
 
 佐藤くんが六角堂を案内したコースは、高台にある五浦岬公園からの遠望であった。車から降りた私たちは、眼下に五浦海岸を見、遠くへ目をずらしてゆくと、六角堂がはるかに見えたのだ。流石であった。その六角堂へ5月の太平洋の卯波が押し寄せ、くりかえし押し寄せていた。
 
 はるかな海鳴りに呼応するごとく、高台の森から夏うぐいすの鳴き声がしている。この声は一羽にちがいない。この岬という一山を、わが物のごとくに鳴いていたのだ。

 眼前にある一つの山から、夏うぐいすの鳴き声がしている。なんという伸びやかな鳴き声であろうか。しかも「ホー、ホ、ケ、キョ・・と、一音一音が完璧な音である。
 作者の平井照敏さんは、この音の一つ一つを、夏うぐいすの発する鳴き声とせず、山が出している声であると捉えたのだ。俳人である前に「詩人」である平井照敏さんの感性を見たように思った。