第九百一夜 小宮和子さんの「桑の実」の句

 久しぶりに「千夜千句」を4日間、休ませていただいた。4日の休みは案外に短かったなあ・・第九百夜を書き終えて、「千夜」まで百夜あると思ったとき、残りの日々は「毎日+α」にしてみたい・・そうしなくてはという気分もあったが。
 「千夜」で一旦終えるのか、出来るかぎり続けるのか、また別の事を考えてみるのか・・読んでくださっている方が飽きてしまってはいないだろうか・・などなど頭は巨大な渦に巻き込まれているようである。
 
 犬の散歩にゆく時は、必ずウンチ袋を持ってゆく。この頃は夜が明けるのが早いので、目覚めるのも早くなり、ノエルの朝の散歩は5時半には済ませている。このところ毎回のように真っ黒なウンチである。何故だろう・・夫に訊いた。
 「ボクの行く散歩コースは大きな桑の木があって、暫く前から道にごろごろ落ちているよ。ノエルは、歩きながらぱくぱく食べているから、ウンチが黒くなるのは桑の実のせいだよ!」
 
 もうノエルは7歳なのに、この地で育てているのに、犬のお母さん代わりの私は、桑の実に気づいていなかった・・!

 さて九百一夜目は、「桑の実」の作品を見てみよう。

  桑の実の子供の頃とちがふ味  小宮和子 『桑の実』
 (くわのみの こどものころと ちがうあじ) こみや・かずこ

 深見けん二先生が平成3年に主宰誌「花鳥来」を立ち上げた時に初めてお目にかかった方で、当時の私は42歳であり、小宮さんは20歳ほど年配のようにお見受けした。けん二先生と同じ山口青邨門下であり、同じ埼玉県在住である小宮さんは、「花鳥来」にも参加なさったのであろう。俳句雑誌『俳壇』に、「実力俳人にみる吟行と写生の姿勢 深見けんこ / 小宮和子」と、記事になったことのある方であった。
 
 句集『桑の実』は、当時、出版社「蝸牛社」をしていた私共が制作に携わった書である。とても懐かしいとともに、誤植を出してしまったことを思い出す。一文字であるが、句集の誤植は、17文字の一句であり、その一文字であるから辛い・・何度も編集側もチェックし、著者の小宮さんも目を通して下さっているのだが、誤植は出てしまった。
 
 出来上がった数百冊を刷り直すことは膨大な費用がかさむ。謹呈用紙に、小さく訂正を入れることも考えたが、小宮さんの提案は、一句一行の中での訂正をしたいという案であった。それは、「の」の誤植の文字を小さく切って、糊で貼ることであった。
 私は、お宅へお邪魔して、小宮さんと一緒に作業をした。
 
 桑の実の頃になると、小宮和子さんと句集『桑の実』のことが、申し訳なさと切なさとともに蘇ってくる。
 
 小宮さんの作品の句意はこうであろうか。
 
 小宮さんの子供時代には、辺りに桑畑が広がっていたのだろう。絹織物を作るには、絹糸が要る。絹糸を作るには、蚕が繭になり、その繭から紡ぎ出したものが絹糸なのだから。蚕は桑の葉を敷き詰めた中で育てるので、桑畑は必要である。養蚕には桑の実は必要ではないが、その桑の木に桑の実が生っている。
 
 ほんのり甘い桑の実は、養蚕する人の疲れを癒やすおやつにもなるし、外で遊んでいる子供たちにとっては、摘み取る遊びにもなり、甘いおやつにもなるのだ。