第九百二夜 池内友次郎の「梅雨の月」の句

 昨夜、梅雨の月が満月のように見えた。昼間の雷雨によって洗われた夜空は漆黒となり、月は金色であった。だがよく見ると、向かって左の部分がまだぼんやりしている。家に戻って調べると梅雨満月は14日の夜の21時頃だという。明日だ! 最近とみに早寝早起きになっているので、寝ないで待つことができるだろうか。

 今宵は、「梅雨の月」「夏の月」の作品を見てみよう。


 
  梅雨雲は野に垂れ野路の月は金  池内友次郎 『蝸牛 新季寄せ』
 (つゆぐもは のにたれのじの つきはきん) いけのうち・ともじろう

 池内友次郎は長いことフランスに音楽留学した音楽家でもある、高浜虚子の次男である。高浜の姓ではないのかというと、父である虚子は池内政忠の五男であるが、虚子は母方の姓の高浜を継いでいた。家系が途絶えないようにと、昔は父方の姓を継いだり母方の姓を継いだりしていた。
 虚子の息子の池内友次郎は、今度は、父方の池内の姓を継いだことによる。
 父虚子が昭和11年2月、箱根丸で六女章子を連れて渡仏した。4月、マルセーユの港にで出迎えたのが留学中の息子の友次郎であった。久々の父と妹との日々はさぞかし安らぎの時であったに違いない。
 
 掲句は、フランスで詠まれた作品であろうか。

 この作品を鑑賞しようと選んだ理由は、ここ数日の夜々の犬の散歩の光景に似ていたからである。散歩道は、しばらく行くと見晴るかすほどの畑地が広がってをり、夜空には梅雨雲が白く垂れ、雲の間に、金色の月影を落しているではないか。ずっしりと重々しい黄金色の月は、まさに「月は金」であった。

  梅雨の月なましらけつつ上りけり  野村親二 『新歳時記』平井照敏編
 (つゆのつき なましらけつつ のぼりけり) のむら・しんじ

 中七下五の「なましらけつつ上りけり」の詠み方に、茨城県取手市の利根川河川敷から眺めた梅雨の月をふっと思い出した。20年前に東京から転居して取手に住むようになると、暇さえあれば、黒ラブの一代目オペラを連れて利根川の土手を上り、時には河川敷まで降りて川面に映る月を眺めていた。
 
 「なましらけ」は、調べがつかなかったが造語であろうか、「なまなましい」と「しらける」を合わせたような感じがする。湿気を含んでうすぼんやりしたような梅雨の月は、大河に上ってきそうである。

 また作者の野村親二さんも、どこの結社の方なのか調べることができなかったが、平井照敏編『新歳時記』の中で見つけた作品である。平井照敏編『新歳時記』は、他の歳時記にはない、新しい感覚の作品に出合うことがある。
 すぐに、句意が掴めない場合もあるが、しばらく頭の中に置いておきたい句が見つかることは楽しみでもある。