第九百五夜 富安風生の「蚊帳吊草」の句

 お母さん業は、二人の子育てと、二頭の黒犬ラブラドール・・正確にはペットショップで目と目が合った一頭目の13歳まで生きたオペラと、常総市のブリーダーから直接求めた8歳のノエルである。オペラは人間の心にしっかり寄り添ってくれた。
 いい子だけど、完璧なマイペースで家中を駆け回っていた仔犬の頃の二頭目のノエル! このノエルの、めくるめく飼育に追われるように、オペラの死の悲しみは徐々に剥がれていったように思う。

 今宵は、「蚊帳吊草」の作品をみてゆこう。

  かたくなに一人遊ぶ子蚊帳吊草  富安風生 『蝸牛 新季寄せ』
 (かたくなに ひとりあそぶこ かやつりぐさ) とみやす・ふうせい
 
 かたくなな程に、蚊帳吊草を摘んでは蚊帳吊をいくつもいくつも作っては一人遊びをしている子がいましたよ、という光景であろうか。
 または、親子で野にきたが、親と子と一緒に遊ぶわけではなく、親は傍で見ていて、子が一人、黙々と夢中になって蚊帳吊草で遊んでいましたよ、という光景であろうか。
 
 「かたくな」は、頑固の「頑」の文字である「頑な」である。たとえばお母さんが、蚊帳吊草も茎を曲げたリ結んだりすると色々な形になるわよ、と横から口出ししても、ぜったいにお母さんの言う通りにはしない子。自分の思う通りのものを作って遊んでいる子なのですよ、となろう。
 
 自分の考えをしっかり持っている子であり、それは子が成長してゆくための素晴らしい資質なので、親はわが子を、親の言う通りにさせようとはせずに、ぜひ見守っていてあげたい。
 
 77歳近くになって、やっとそう思えるようになった私なのだが、これからも娘の接し方を考えながら過ごしてゆきたい。

  旅の野の蚊帳吊草をすいと割く  入江朝子 『現代歳時記』成星出版
 (たびののの かやつりぐさを すいとさく) いりえ・あさこ

 旅先での野遊びの景であろう。夏草の深々とした野は、ちょうど膝の丈ほどの蚊帳吊草が茂っている。旅人は、蚊帳吊草を引き抜いては茎を割く。すると真ん中から4本の筋に分かれて蚊帳を吊ったような形になる、そこから蚊帳吊草と名が付けられた。
 
 子どもは勿論だが、大人の旅人も、つれづれなるままに「すい」と割いては蚊帳吊草で遊んでいた。

 入江朝子のプロフィールは、父・冷泉為守(入江為守)と母・伯爵柳原前光の長女。昭和53年から平成7年までの作句を収めた『身ほとり』と『絵草紙』の2冊は、客観写生により対象にアプローチし、平明な上にも静かにおのれをみつめる、独特の情緒の味わいのある句集である。
 

  猫の魂けむりて遊ぶかやつり草  寺井谷子 『花の歳時記 夏』講談社
 (ねこのたま けむりてあそぶ かやつりぐさ) てらい・たにこ

 不思議な作品である。主語は猫ではなく「猫の魂」であるという。魂は目に見えるものではないが、人間を含めた生きとし生けるもの全てに備わっている、「心(こころ)」であり「霊(たましい)」「魂」なのである。
 
 猫がかやつり草と遊んでいる様子は、猫にも心があって遊んでいるように見える。でも猫の心は見ることはできないから、猫の魂がけむって遊んでいるようだと、そのように、寺井谷子さんは言葉に表したのだ。

 寺井谷子は、横山白虹の4女。父の横山白虹は、「自鳴鐘(じめいしょう)」の創刊主宰者である。父没後、編集人、副主宰を経て、現在は「自鳴鐘」主宰。現代俳句協会副会長。