第九百六夜 杉田久女の「紫陽花」の句

 数日前から仏壇の横には、なんとも柔らかな淡いブルーの大きな毬の紫陽花が活けてある。夫の丹精の畑に植えられている紫陽花である。花の色が少しずつ勢いをうしなってきたようだ。
 「ねえ、アジサイの花って、しなっとなるだけで、散らない花だったかしら・・?」
 
 アジサイのひらひらと花弁のように見えるものは、萼(片)であるという。
 じつは、花のことを書くたびに、花弁は? 萼は? 雌しべは? 雄しべは?と調べるのだが、知っているようで知らないことの、なんと多いことであろうか!

 今宵は、「紫陽花」の作品を見てみよう。

  紫陽花に秋冷いたる信濃かな  杉田久女 『杉田久女句集』
 (あじさいに しゅうれいいたる しなのかな) すぎた・ひさじょ

 初出は「ホトトギス」大正9年11月号。詞書に「松本城山の墓地に父の埋骨式、弟の墓と並ぶ」とあり、この年の8月に父の遺骨を埋葬するため、信州松本を訪れたときの句である。

 平成19年、久女の墓へ一度詣りたいと思い立って、信州久女が分骨され、虚子が墓碑銘を書いた墓のある城山墓地を訪れた。田辺聖子の『花衣ぬぐやまつわる…わが愛の杉田久女』の墓所を訪ねる場面を思い出しながら探したが、やはり私たちも迷いに迷って、やっと小さな立て札を見つけて、辿り着くことができた。
 赤堀家の墓所は、樹々に囲まれた陽の当たる斜面にある。四基並んだ一番奥が久女の墓で、枯れかかっているが供花が置かれていた。小振りの黒御影石の墓の「久女の墓」と刻まれた虚子の文字を眺めながら、秋の日射しの中で私たちは暫く佇んでいた。

 伊那市に住む植物細密画家の野村陽子さんを訪ねた折に、お願いして、松本市城山にある杉田久女の墓所へ連れていってもらった。探すのに一苦労したが、黒い小ぶりの「久女の墓」に佇ったとき、なぜかホッとする思いであった。
 師である虚子と久女との長い確執を、思い出していたからであろう。

  あじさいの庭まで泣きにいきました 小6 惣田美由紀 『小学生の俳句歳時記』
 (あじさいの にわまでなきに いきました) そうだ・みゆき
 
 小学6年生の作品。この句を読んだ大人も、良い句だと思うのはなぜだろう・・考えてみよう。
 一つ目は、「どうしてわざわざ庭まで泣きにゆくのだろう」という面白さ。
 二つ目は、五七五のリズムの良さ。
 三つ目は、アジサイの咲いている庭で泣いている作者の姿が浮かんでくるからであろう。
 四つ目は、梅雨の頃の雨にぬれて咲いているアジサイが一番きれいだから「泣きにいきました」という言葉と、「雨にぬれたあじさい」とがよく似合うからかもしれない。こんなふうに考えてみた。

  あぢさゐを貫いてゐる川の面  深見けん二 『蝶に会ふ』
 (あじさいを つらぬいている かわのおも) ふかみ・けんじ  

 平成19年の作。川面に紫陽花が影を映しているという光景であるが、けん二先生は、この句をストレートな表現で詠んではいないと感じた。中七を「映してゐる」とせずに「貫いてゐる」としたことで、川面の表情が微妙に違ってくるからだ。
 
 この紫陽花が映っている川面は、川の流れがほとんどない深みのある場所のない淵なのであろう。紫陽花は、鏡のような川面に映っている。映っているというよりは、それは川底から立ち上がっている紫陽花のようでもあった。
 
 「貫いてゐる」と詠んで、流れのない川面の静けさが見え、川面にまったき影を落している紫陽花の姿が見えるようであった。