第九百七夜 小川みゆきの「茅花ながし」の句

 今朝は、四時半には目覚めてしまった。散歩には早いかしらと思いつつ、犬に引かれるように外に出た。もう明るかった。家に戻ってから日の出の時刻を調べると、4時23分とあった。日の出とともに起きた朝であった。
 
 いつもの畑道へ行かずに、ふれあい道路を歩きだした。取手の街道6号線からわが家のすぐ前を通っている道がふれあい道路である。この道の片側は畑に接している箇所が多くて、茅花が生えている。近くの利根川の土手や河川敷にも見事な茅花野がある。
 イネ科の多年草の茅花は、梅雨に入ってからは、茅花の槍の穂先を解きながら銀色の穂をなびかせている。この頃に吹く南風が茅花流しであるが、なんとも美しい清浄な景となる。
 
 今宵は、「茅花流し」の作品を見てみよう。

  夕暮や茅花流しの地平線  小川みゆき 『ホトトギス新歳時記』
 (ゆうぐれや つばなながしの ちへいせん) おがわ・みゆき

 たとえば、6月から7月にかけて、太平洋岸のハイウェイを走っている時や、あるいは途中で車を降りて海岸べりを歩いている時など、必ずのように、茅花流しの吹く光景に出合うにちがいない。
 遠くを眺めた時、一面の茅花流しの野とその向こう側に広がる大海原がある。あるいは、茅花流しの野とその上に広がっている大空の光景がある。
 
 地平線とは、地面と空の境界をなす線のことである。
 
 掲句を考えてみよう。上五の「夕暮や」によって、地平線の上の部分は、すでに薄暗い空の色であることがわかる。そして地平線を作っているのは、一面に揺れている茅花流しの色の白であることがわかる、ということになろうか。
 
 小川みゆきさんの作品は、真昼の光の下での景ではない。
 夕暮の景であることによって、さらに、空の紺と茅花流しの白という色彩の濃度の幅の大きさによって、印象鮮明な地平線が生まれたのであった。
 
 それが、夕暮の茅花流しの地平線であろう。

  昼月のあはあは茅花流しかな  今井千鶴子 『ホトトギス新歳時記』
 (ひるづきの あわあわつばな ながしかな) いまい・ちずこ

 昼間の空に月がうっすらと見えていることがある。朝方にも、まだ明るい夕方にもうっすらした月をみることがあるが、どのように見えるのかは月齢による。
 気になる場合には、ネットや月の本で調べたりしている。
 
 「昼月」の白い色合いは、風に吹かれている茅花流しの白い色とどこか似ている。そうだ! どちらも「あはあは」という言葉で表すことができる色合いなのであったのだ。