第九百十夜 山田凡二の「夏至」の句

 2022年6月21日の今日は夏至である。国立天文台のホームページによると、日の出は4時25分。日の入りは19時00分という。「夏至」とは、一年中で一番昼が長い日である。6時には夕方の気配ではあるが、まだ明るい。
 昼間は外に繋いでいる犬のノエルをいつものように5時過ぎに室内に入れたら、玄関に入りたくないと四つ足で踏ん張っていると、厳しい娘が、「ノエル、ダメよ! 夜はおウチに入るのよ!」の一言で、すごすごと入ってきた。
 
 私の住む茨城県守谷市は利根川の橋を越えると東京都である。東京の日没を調べてみると、暗くなるのは7時頃だという。
  
 7時半すこし前にノエルの散歩に出たが、「明るいのにまた散歩なの・・?」という表情で何度も私を見上げる。
 「今日はね、夏至っていう日なのよ。一年で一番、昼が長いから7時過ぎでも、ほら、まだ明るいでしょ!」
 と、私は声に出して言う。犬のノエルに通じなくてもチンプンカンプンでも、人間と同じように説明している。傍で聞いている人がいたら、「この婆さん、もうボケているのかもしれないな!」と思うかもしれないが、構わない。
 
 暗くなってから、すぐそこまでだが、ノエルを連れて夜の散歩に出かけた。

 今宵は、「夏至」の作品を見てみよう。
 

  夏至といふ何か大きな曲り角  山田凡二 『ホトトギス新歳時記』
 (げしという なにかおおきな まがりかど) やまだ・ぼんじ

 山田凡二さんの、この作品は2度目の登場なのであるが、夏至という特別な日は、身も心も全体で感じていたい。夏至は太陽が最も北に寄り北半球では昼が長く、ヨーロッパのキリスト教国では聖ヨハネの日に夏至祭(げしさい)が賑やかに行われる。
 バランスのよい四季に恵まれている日本では、夏至を、特別に「大きな曲り角」と思う人はいないかもしれない。だが、夏至が過ぎ、真夏がやってきて、爽やかな秋がきて、冬になり、もう一つの大きな曲り角である冬至に行きあたる。
 
 夏至も冬至も、一年の中の「何か大きな曲り角」なのである。「何か」とは、何なのかはっきりとはわからないことではあるが、夏至は一年というサイクルの中の「大きな曲り角」なのであると、山田凡二は捉えたのだ。
 
 この夏至という大きな曲り角を曲ると、次の大きな曲り角である冬至に行きつくことになるのだという。
 

  夏至今日と思ひつつ書を閉じにけり  高浜虚子
 (げしきょうと おもいつつしょを とじにけり) たかはま・きょし

 昭和32年6月23日の作である。この日から20日も経たない7月13日から、若い俳人の鍛錬の場とした千葉県鹿野山神野寺での第一回目の稽古会が始まった。きっと虚子は、長く家を開けるので、読んでおく本など稽古会に出席する前にやっておく準備あるのであろう。
 
 晩年の虚子は、若い俳人を育てることに心を砕いていた。最晩年の虚子門の深見けん二と清崎敏郎は同い年であった。新人会、稽古会、玉藻研究座談会においても共に虚子から直接に客観写生と花鳥諷詠を叩き込まれた。
 
 あるときけん二は、虚子から聞かれた。
 「あなたは花鳥諷詠を信じますか。」
 「信じなければ本当とは言えませんね。」

 こうした一つ一つの積み重ねで、虚子の教え――客観写生により季題を詠む花鳥諷詠――を、実作により体現し続けてきている深見けん二の信条は、「季題を信じる」である。