第九百十三夜 高浜虚子の「かたつぶり」の句

  舞へ舞へかたつぶり     作者不詳

 舞へ舞へ蝸牛           まえまえかたつぶり
 舞はぬものならば         まわぬものならば
 馬の子や牛の子に蹴ゑさせてん、  うまのこやうしのこにくえさせてん、
 踏み破(わ)らせてん       ふみわらせてん
 真に愛しく舞うたらば、      まことにうつくしくまうたらば、
 華の園まで遊ばせん        はなのそのまであそばせん。
     『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』(408) 
     
 ※『梁塵秘抄』は平安時代に編まれた歌謡集で、今様歌謡の集成。編者は後白河法皇で1180年前後の作。すべての作品が口伝であり、七五調四句、八五調四句、五七五七七の調子である。
   
 今宵は、「蝸牛(かたつぶり)」の作品を紹介しよう。

  雨の森恐ろし蝸牛早く動く  高浜虚子  『新歳時記』平井照敏
 (あめのもり おそろしかぎゅう はやくうごく) たかはま・きょし

 カタツムリは、体が濡れている状態でないと生きていけないし元気に這い回ることができない。カタツムリ自身、体が乾燥するのを防ぐために、ねばねばした液体を出して、つねに乾燥を防いでいるのだ。

 虚子が雨の森の中で見かけたカタツムリは、いつものようにのっそりと葉の上や枝先を動いているのではなかった。今日の雨の日のカタツムリのなんと嬉しそうなことだろうか。これまで見た中で一番動きが早かったという。
 
 高浜虚子の『虚子五句集』には収められていなかった。だが、掲句はカタツムリのこれまで知らなかった一面を作品にして、教えてくれた。

  かたつむりつるめば肉の食ひ入るや  永田耕衣 『新歳時記』平井照敏
 (かたつむり つるめばにくの くいいるや) ながた・こうい

 生きとし生けるものは、みなつるむ、交尾をして子孫をのこしてゆくのだ。カタツムリもそうだ! えっ! あのぬるぬるしたカタツムリが・・! 永田耕衣のこの作品を知ったとき、私は、本やネットで調べた・・! ぬるぬるしたもの同士の交尾・・ぬるぬるした肉がくねりながら、まさに互いに食い入っている姿であった。
 
 虚子の客観描写、山口青邨のオブザベーションなど、俳句は、対象物をよく見て、目を皿のようにして客観的に観察をすることが基本であるという。
 永田耕衣は、戦後になって「根源俳句」という言葉を使うようになった山口誓子の主宰する「天狼」に所属していた作家である。

  朽臼をめぐりめぐるや蝸牛  西山泊雲 『ホトトギス雑詠選集』夏の部 
 (くちうすを めぐりめぐるや かたつむり) にしやま・はくうん

 第六十三夜に西山泊雲のことを書いた。泊雲の家は、1849(嘉永2)年の江戸時代から続く西山酒造であり、泊雲は当主である。
 
 そのとき鑑賞した作品が大正3年作〈土間にありて臼は王たり夜半の冬〉であった。この臼は、朽臼ではなく新酒の入っている臼であり、土間に置かれた臼は、まさに「王」のごとく輝いていたという。
 
 掲句はこうであろう。土間には泊雲が〈若竹や廻る月日に朽つる臼〉と詠んだように、使い古した朽臼が置かれている。ちょうど梅雨時のことで蝸牛も土間に入り込んできて、朽臼の縁を這い巡っていたのであろう。