第九百十五夜 中村草田男の「香水」の句

 2022年6月28日の今日、守谷市の最高気温は、昨日より更に高い38℃を記録した。朝から家中のクーラーを点けっぱなしである。冷蔵庫には2日ほど困らないくらいのストックはあることを確認して、今日も買物に出かけることは中止した。
 
 外に行くのは、ノエルの散歩だけであるが、朝の5時、昼前、夕方、そして夜の7時半と、私だけでも4回である。その他には娘が朝の長い散歩に出かける。
 
 昨夜から元気のなかったノエルは、夕方には鼻先も濡れてきた。鼻先がしっとり濡れていることが犬の元気のバロメーターである。元気は回復したが、暑さは当分つづくという予報である。私はクーラーを夜中入れるのはどうも調子が悪いので、ノエルは夫と一緒に一階に寝てもらうことに決めた。
 
 今宵は、「香水」の作品を紹介しよう。

  香水の香ぞ鉄壁をなせりける  中村草田男 『長子』
 (こうすいの かぞてっぺきを なせりける) なかむら・くさたお

 香水の俳句で一番先に覚えてしまった作品である。「鉄壁」という強い表現に驚かされるが、独自の香を大切にしている大人の女性のいることは、かつて外国の小説を読み、フランス映画やアメリカ映画を観ていた私には、香水は大人の女性の必需品として馴染み深いものであった。
 
 私自身は、化粧品の一つとして香りを身につけることに興味をもったことはなく好きではない。口元をきりっとさせてくれる口紅(ルージュ)は、唯一好きな化粧品であったし、化粧の仕上げという意味で、口紅は「鉄壁」に近い存在であったかもしれない・
 やはり、香水はマリリン・モンローが似合うようだ。
 
 『草田男俳句365日』の、6月9日にこの作品があった。第一句集『長子』に収められたもので、教師になりたての若い頃の句である。女性から薫りくる、目には見えない香水を「鉄壁」と捉えたことで、草田男が、近寄りがたさを覚えた初めての女性の香であったのであろう。

  気ふさぎにあれば掛け香匂ひけり  下田実花 『下田実花句集』
 (きふさぎに あればかけこう においけり) しもだ・じっか

 「掛け香」「掛香(かけこう)」とは、懐中や着物の袂(たもと)に入れる匂い袋と同じ。「気ふさぎ(気塞ぎ」は、気分が塞いで晴々としないことである。
 
 下田実花(しもだじっか)は明治40(1907)年の生まれの俳人。「天狼」主宰の山口誓子の妹。4歳で母を亡くした実花は、兄の誓子や他の姉妹と別れて歌舞伎の尾上梅昇の養女となり、次に下田家の養女となり、養父没後には15歳でお酌となって下田の母を若くして養うようになっていた。「お酌」とは一人前になっていない芸者のことで、東京では半玉、京都では舞妓のことである。
 
 昭和10年に虚子の許で俳句を始め、写生文の「山会」にも所属。昭和20年にはホトトギスの同人となった。戦時中、実花はホトトギス社に勤務したり、星野立子の家に住み込みで「玉藻」の編集の手伝いをしていたが、戦後、虚子は「実花君は芸妓に復帰すべきだ」と勧めたことから、立三味線、哥沢(うたざわ)の名手の芸者、俳諧芸者として新橋でも立派な存在となってゆく。
 
 掲句はこうであろう。忍ばせた掛け香が、ふっと匂い立つことがあるが、それは決まって実花自身がお客相手に華やぐことのできない時であった。
 
 新橋の芸者として日々客を相手の仕事をしているが、いつも明るくできるわけではない。憂鬱な気分になることもある。そのような日には、着物の袂に掛け香(匂い袋)を忍ばせてお座敷に出たのだという。