第九百十六夜 正岡子規の「六月」の句

 今年の梅雨入りは、6月6日に梅雨入りしたと思われる、という気象庁のコメントがあったが、例年に比べると早い梅雨入りであった。さらに驚くことは、気象庁のコメントした雨は長くは続かなくて、早くも6月17日には梅雨明け宣言がされたことだ。

 夏は始まっているということである。
 とすると今年の夏はいつまでなのだろうか。例年のように9月の初めまでが真夏であり続けるというのだろうか?
 
 昨日もスマホの天気予報は真っ赤なマークが付いていた。予報では少なくとも今週一杯は真っ赤であるとなっている。真っ赤というのは、近年見たことのない37℃以上という数字なのである。
 わが家の、可愛がられて少々我儘な犬のノエルも、玄関の扉に向いたまま外に連れ出してという散歩アピールをしているが、真っ青な空に太陽がいかにも暑そうな輝きを放っている中に犬を連れて出てゆきたくはない・・。
 
 昨日と同じに、午後の一番暑くなる頃にお風呂場で存分に水かけごっこをしてあげよう!
 
 今宵は「六月」「六月果つ」の作品を見てみよう。

  六月を綺麗な風の吹くことよ  正岡子規 『寒山落木』第4所収 
 (ろくがつを きれいなかぜの ふくことよ) まさおか・しき

 正岡子規は勤務している日本新聞社から、明治28年、日清戦争の志願記者として大陸に派遣されたが直ぐに終戦となり、帰還することになった。帰国の船内からサメを見た瞬間に喀血を起こした子規は、港へ着くや神戸病院へ入院し、続いて須磨保養病院へ転院した。
 
 子規の見舞いに須磨病院に駆けつけた虚子に、子規は俳句の後継者になってほしいと告げたが、虚子からは捗々しい返事はなかったという。その後、子規が須磨から東京へ戻って、ある日、上野の山に虚子を呼び出して後継者の話をしたが、その時も虚子は承諾の気持ちを見せることはなかった。
 
 だが、虚子は重く受け止めていたのに違いない。生前の子規へ、虚子は後継者問題に「諾」と告げることはなかったが、子規亡きあとの「ホトトギス」を引き継いで以降の47年の間に、現代俳句の基礎である「花鳥諷詠」の理念、「客観写生」の方法論を提唱したのは、他ならぬ高浜虚子であった。
 
 掲句は、須磨で保養中の子規との散歩での作品である。須磨病院では、東京から見舞いに訪れた虚子や碧梧桐と一緒に、子規はイチゴ摘みに行って遊んだりしている。
 
 六月の、梅雨入り前の晴れた美しい日であったのであろうか。あるいは、梅雨入り後であったかもしれないが、蒸し暑くなりはじめた雨は、空気の暑さも、空中の汚れも、すべて打ち払い、しかも辺りの新緑の木々を濡らしてゆく雨のなんと美しいことであろうか。

 子規はその日、「ああ、六月の今日を、なんと綺麗な風が吹きわたっていることだろう!」と、詠んだのであった。風が吹いて辺りがを綺麗になったということであり、そのことで子規の気分も爽やかであったことから、「綺麗な風が吹く」という表現になったのであった。