第九百十八夜 斎藤俳小星の「雹(ひょう)」の句

 すごい雹だったなあ、と思い出す雹に、私は2度出会っている。2度とも東京から茨城県の取手市に越してきたばかりの頃であった。
 1度目は、待ち合わせした東京神田の喫茶店。店の外に張り出した布製の屋根の下のテーブル席にいた時だ。突然あたりが昏くなるや、ガラガラという音がして、なんと・・氷の欠片が天から降ってきたのだ。驚いたのは氷の欠片の大きさであった。地面を叩く音から大きさを想像できるかもしれないが、一粒が片手を丸めたなかに収まるほど・・後でニュースになったが、トタン屋根など凹んだという。
 
 2度目も、取手に住んでいた頃である。東京で仕事の約束をしていたので車でハイウェイの入口に向かおうとしていた。後方からガラガラという只ならぬ響きが聞こえてくる。しばらくすると、「あっ、雹だ!」と、近づく音の正体を知った。
 ハイウェイのスピードの流れのままに走らないと危険だ、どの車もスピードを上げたようだ。私も飛ばした。雹というものは黒雲から降ってくるものだから、頭上に見えている黒雲の真下を離れることができさえすれば、もう大丈夫だ。雹に打たれることはなかった・・。

 今宵は、「雹」の作品を見てみよう。

  取りあへず苗一籠や雹見舞  斎藤俳小星 『ホトトギス雑詠選集』夏の部
 (とりあえず なえひとかごや ひょうみまい) さいとう・はいしょうせい
 
 斎藤俳小星(さいとう・はいしょうせい)は、1883年(明治15)に埼玉県所沢の農家に生まれた。俳人。高浜虚子に師事し、1902年(大正9)に『ホトトギス』同人となる。1962年(昭和37)には県俳句連盟顧問、翌々年には市俳句連盟を結成した。農事の句に優れ、「土の俳人」と称された。

 ちなみに、作者の俳号、俳小星(はいしょうせい)は、「はい、小生」、という名告りの語呂合わせだとか。

 掲句は、田んぼには苗がやっと出揃ったころである。農家にとって、苗がしっかり根付いてそよ風に靡く頃になると一息つく思いであろう。そんな頃に雹が降ることがあるのだ。雹は、黒雲の下に降るので、自分の畑には降らなかったが、知合いの農家では被害に遭ってしまうこともある。
 句意は、隣人はさぞ困っていることだろうと、雹見舞いに苗を一籠とどけましたよ、となろうか。

 第48回「ところざわ名人に聞く会」では、鈴木征子さんによる講演「斎藤俳小星の生涯と作品」が行われたという。斎藤俳小星は埼玉県所沢の出身であり、そして「花鳥来」所属の鈴木征子さん、すぐるさんご夫妻も代々住んでいる大地である。
 鈴木征子さんは、地元出身の俳人・斎藤俳小星を生涯忘れずに語り継ぐいでいくであろう。
 
 この所沢には、俳誌「花鳥来」主宰の深見けん二主宰が住んでいらした街でもある。

  月欠けて野川を照らす雹のあと  堀口星眠 『新歳時記』平井照敏編
 (つきかけて のがわをてらす ひょうのあと) ほりぐち・せいみん
 
 この作品を見つけるや、忽ち惹かれた句である。上五の「月欠けて」という表現の清新さに、よい意味で気にかかった。雹がまるで月の欠けたことによって生まれた「月のかけら」のように、ふっと感じられるからだ。

 堀口星眠(ほりぐち・せいみん)、1923年(大正12)- 2015年(平成27)は、群馬県出身の俳人、医師。水原秋桜子の「馬酔木」同人。水原秋桜子は、昭和4年に高浜虚子の提唱した「花鳥諷詠」「客観写生」の主観を抑えた写生の方法の違いから「ホトトギス」を離脱し、より叙情的な作品に向かった。
 堀口星眠は、秋桜子の没後に「馬酔木」を継承し、「橡」を創刊主宰する。