第九百二十夜 芥川龍之介の「青蛙」の句

 梅雨の最中であろうかと予定を立てて、季題と例句を探していた。半端ない蒸し暑さではあるが、雨がぱらぱらと降ったかしらというほどの雨量なので、例年のように畑道にできる水たまりが今年はないのだ。
 水たまりがあると楽しい! 犬のノエルには「ほうら、飛んでごらん!」と声を掛けると、軽やかにひとっ飛びして見せてくれる。「ね! できたでしょう!」と自慢げな目で私を見上げるから、「すごいねえ!」と頭を撫でてあげる。
 
 私の水たまりの楽しみは、覗き込むことだ。水たまりの大きさよりも、ずっと大きな空が見えるという不思議がある。喜寿を目前にした老女は不思議でたまらない。きっと幼い頃には水たまりを覗き込んではこの不思議を見ていたに違いないが、すっかり忘れてしまっていた。

 今宵は、「雨蛙」「青蛙」の作品をみてみよう。

  青蛙おのれもペンキぬりたてか  芥川龍之介 『芥川龍之介句集』
 (あおがえる おのれもペンキ ぬりたてか) あくたがわ・りゅうのすけ

 60歳近くになって、茨城県取手市に移転してから、自然の様々に触れるようになった。俳句をするようになったからというだけではないように思う。逆に、自然の只中に居るからといって、俳句が上手く詠めるということでもない。
 
 掲句の青蛙は、雨の中で見かけた青蛙・・もしくは雨に濡れているかのような青く輝いているピカピカの青蛙であろう。歳時記には
「雨蛙」を主題、「青蛙」を傍題にしている。緑色で体長3、4センチほどの小ささである。この小さくて青く、目がぱっちりとしているのが「青蛙」である。
 句意は、「青蛙よ、おまえもペンキを塗ったばかりだから、そのように青い色をしているのだね。」、となろうか。

  青蛙ぱつちり金の瞼かな  川端茅舎 『川端茅舎全句集』
 (あおがえる ぱっちりきんの まぶたかな) かわばた・ぼうしゃ

 川端茅舎は、異母兄に画家川端龍子をもち、岸田劉生に師事し洋画家を志していた。俳句に専念するようになるのは、劉生が死去し画業を諦めて以後であるが、茅舎自身も病気がちで、脊椎カリエスのため病臥生活となる。ホトトギスの四S以降の作家(※四Sとは、秋桜子、素十、誓子、青畝のこと)として茅舎は、中村草田男や松本たかし等とともに活躍するようになる。

 茅舎は、画業で培った対象を視る「目の忍耐」(山本健吉による)を会得してをり、劉生から「内なる美」の表現を会得していた。この句を詠むときも、茅舎は、青蛙の傍まで行って、じっくり眺めたのであろう。

 掲句は、青蛙を間近に真正面から見たのであろう。大きな青蛙の目は、ぱっちりと見開いていて、金色であったという。眸は、人間の場合もそうであるが、水分を含んでいることによって眼球は動くことができる。その瞼の濡れたような瞼の色を「金」と捉えたのだ。

 後に茅舎は、師の高浜虚子から「花鳥諷詠骨頂漢」と呼ばれ、茅舎は、生涯、花鳥諷詠を信奉したのであった。