第九百二十一夜 今井千鶴子の「泥鰌鍋」の句

 鰻は大好物だが、私は、泥鰌は大の苦手である。小学校の頃だったと思う。ある夏の日曜日、父が泥鰌汁が食べたいと言い出した。父は、ちょっと嫌な顔をした母を見た父は、駅前の魚屋まで自ら買いに出かけた。買ってくれば作るのは君だよ、と言わんばかりにキッチンのテーブルの上に泥鰌の包を置いた。
 
 母が大鍋に沸かした。煮立った鍋に泥鰌を入れた途端のことだ。泥鰌は「キュー」という鳴き声を上げた。確か「キュー」と聞こえたように覚えている。直後に母は「もう、イヤ~!」と、大鍋を離れた。
 そこへ母の母である祖母が自室から出てくるや、「しょうがないわねえ!」と、片手で掴んだ泥鰌を鍋に放り込むや、もう片一方の手で鍋に蓋をした。鍋の中は、泥鰌たちが暴れながら「キュー、キュー」と鳴いていたが、しばらくすると鍋は静かになった。
 
 祖母は強い! もう70年近い昔のことだ。
 
 私はその泥鰌を食べた記憶がない。その後も泥鰌は食べていないし、夫のためにも泥鰌汁や泥鰌鍋を作ったことがない。夫は、泥鰌が食べたくなると、仕事の打合せの帰りに神田の泥鰌屋池田屋に行っていたようだ。
 
 今宵は、「泥鰌鍋」「泥鰌」の作品を見てみよう。

  泥鰌鍋どぜうの顔は見ぬことに  今井千鶴子 『ホトトギス新季寄せ』
 (どじょうなべ どじょうのかおは、みぬことに) いまい・ちずこ

 句意は次のようであろう。
 
 泥鰌の顔を見てしまい目が合ってしまうと、今井千鶴子さんは、なぜか泥鰌鍋の泥鰌を食べる気がしなくなる。泥鰌汁が美味しいことは知っているのだが・・。そうだ、宴席で泥鰌鍋が出てきても、泥鰌の顔をまじまじと見るのはよそう。あの可愛らしいと人がいう泥鰌の顔さえ見なければいいのだから・・。
 以来、今井千鶴子さんは泥鰌鍋の席では、泥鰌の顔を見ないようにしているのだろう。
 
 私が、今井千鶴子さんにお目にかかったのは、平成元年、深見けん二主宰「花鳥来」の発会式であった。時期を同じくして深見けん二とともに季刊の俳誌「珊」を創刊していた今井千鶴子、藤松遊子(ゆうし)はお祝いに駆けつけて下さっていた。

  宵の町雨となりたる泥鰌鍋  深見けん二 『花鳥来』
 (よいのまち あめちなりたる どじょうなべ) ふかみ・けんじ

 泥鰌鍋は、初夏から夏の栄養補給によいと言われる。仕事を終えて町に出ると、あいにくの雨である。ちょうどいい。けん二先生は、電車に乗って都心から遠いわが家へ戻るのは、まず一杯飲んで疲れを癒してからにしよう、と考えた。
 
 目の前の泥鰌屋に入ると、湯気の立つ泥鰌鍋を注文した。身体は温まり仕事の疲れも飛んでいったようだ。