第九百二十三夜 山田弘子の「毛虫」の句

 大きな毛虫を見て、「キャーッ!」と言わなくなったのは、60歳くらいの頃からだ。茨城県取手市に越してきて、30キロの黒ラブを乗せて一人で、あちこち車で出かけるようになった。まだ車にナビは付けていなくて、車内に大きな地図を横において、調べながらうろうろしていたが、こんなことが出来たのも、都心ではなかったからだであろう。
 
 小貝川を辿ってゆくと福岡堰があり、ここは2キロも続く桜並木がある。地図を見てゆくと、少し走れば坂野家住宅という地元の名家の屋敷があるという。
 
 初めて坂野家住宅の広大な敷地に足を踏み入れたときのこと。道の向こう側へ行こうと立ち止まると、一匹の大きな毛虫が、せっせせっせと歩いているではないか。全身を揺すって毛を逆立てている。もしかして毛虫の毛は毒があるって聞いていたけど・・と思ったが、シャンプーしたてのような美しい毛を靡かせていた。堂々としていた。
 私は、毛虫が向こう側に到着するまで見とれてしまっていた。
 
 今宵は、「毛虫」の作品を見てみよう。

  美しき毛虫の縞の怒りかな  山田弘子 『名句もかなわない子ども俳句170選』
 (うつくしき けむしのしまの いかりかな) やまだ・ひろこ

 「イヤーッ! ケムシよ!」というノンちゃんの叫び声に振り返ると、今朝の梅の木にはケムシがうようよしている。お父さんが飛び出してきて、ケムシを棒でふりおとすと、すぐに焼きはじめた。
 炎を逃れたケムシは、縞もようの毛を逆立てて、ゆさゆさと逃げていった。その姿をみたノンちゃんは、なんとなく気持ちわるくなった。危うく炎に巻かれるところだったケムシの怒りが、身をゆすって逃げるケムシからあふれ出していたからだ。

 もうしばらくすると、ケムシたちは美しい翅をもったチョウやガになってゆくのに・・。

  毛虫焼く火のめらめらと美しき  木下夕爾  『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (けむしやく ひのめらめらと うつくしき) きのした・ゆうじ

 梅の木にたかっているケムシを焼いた時のことはよく覚えている。梅の花が咲き終わった後だったと思う。ある日、枝分かれした窪みにケムシが湧いたように蠢いていたのだ。
 見つけた母は、「お父さん! 大変・・大変よ! 梅の木にケムシがいっぱいよ! 早く来てくださいなー!」と、庭から叫んでいる。

 父は、木切れに布を巻き付けて、灯油に浸してから火を付けた。その木切れから炎がめらめらと立ち、ケムシは焼かれはじめた。ケムシが苦しみの声をあげのたかどうか・・だが、ケムシの悶絶のうごめきは今も覚えている。

  老毛虫の銀毛高くそよぎけり  原 石鼎 『新歳時記』平井照敏編
 (ろうけむし ぎんもうたかく そよぎけり) はら・せきてい

 生まれたばかりのケムシは赤ちゃんケムシだと判るかもしれない。だが、若いケムシなのか老いているケムシなのかは、ケムシに詳しい人であれば判別がつくものであろうか?
 
 おそらく老毛虫とは、銀色の毛を高々と戦がせて、葉の上を、あるいは枝先にゆうゆうと歩いてゆく貫禄ある姿のケムシをそう呼んでいるのだと思われるが、「老毛虫」と捉えたことで、見事に格調高いケムシの作品に仕上がった。