第九百二十四夜 佐藤念腹の「雷」の句

 今日は、守谷市を北上し、つくば市をさらに北上し、筑波山が青々と見えるあたちの「つくば植物園」へ出かけた。娘が見たいと言ったのは、「リュウゼツラン」であった。まだ青々と剣のような葉が出ているだけであった。「葉っぱだけなの?」と訊くと、「何十年に1度、たとえば50年に1度とか・・花が咲くのですって・・」という返事だった。
 
 家に戻ってからネットで調べてみると、青々とした葉っぱから、茎が伸びて黄色い花を咲かせるのだそうだ。77歳の私は、一生見ることができないかもしれない花の・・葉の部分だけであったが、そうした植物もあることを知ったことは、この筑波実験植物園(つくば植物園)にきた甲斐があったのだろう。娘も、今咲いているのかどうか、花の有無を確認したかったのかもしれない。

 橙色のノウゼンカズラが美しかった! 真夏の光に透きとおったオレンジの花の色が7月の植物園の森に映えていた!

 今宵は、「雷」の作品を見てみよう。第九十五夜で紹介しているが、「雷」で先ず一番に浮かぶ句が、佐藤念腹がブラジルで詠んだ「雷」である。

  雷や四方の樹海の子雷  佐藤念腹 『ホトトギス 雑詠句評会抄』
 (かみなりや よものじゅかいの こかみなり)」 さとう・ねんぷく

 鑑賞をしてみよう。
 
 「子雷」って何だろう、どんな雷だろうと思った。私の机には、稲畑汀子汀子監修『ホトトギス 巻頭句集』と『ホトトギス 雑詠句評会抄』が並んでいる。読み直した。
 雑詠句評会とは、「ホトトギス」の雑詠の中から虚子が選んだ句を、鑑賞担当の同人は、共鳴し感心し批評してみたら面白いと思われる箇所を、十分に調べた上で、発表する会である。句の作者の力に伍する迫力で鑑賞に臨んでいたという。
 同人の鑑賞も鋭いが、最後に鑑賞する虚子の絶妙な視点によって、名句が生まれ、俳人を生んだということを改めて知る書である。一部を紹介してみよう。
 
 まずは水原秋桜子の評である。
 「大きな雷が一つ鳴りはためくとその谺が四方の樹海にこもって多くの雷がいつまでも鳴り響いているような気がするという句である。雷の谺を子雷と云って小雷と云わなかった処など非常に面白い。」
 
 次に高野素十の評である。
 「南米の天地はかくもあろうかと思われるほど雄大によく景色が出ている。」
 
 最後に虚子の評である。
 「秋桜子君の言の如く、子雷とはよく言った。(略)子雷という言葉を捻出したのは念腹君の俳句の技量が著しく進歩したことを証明するものである。」
 
 佐藤念腹(さとう・ねんぷく)は、明治31年(1896)ー昭和54年(1979)、新潟県笹丘村(現阿賀野市)生まれ。念腹の俳句の始まりは知らないが、「ホトトギス」に投句して一句選の頃、新潟医科大学に来た中田みづほの名を「ホトトギス」で見つけて、笹丘村から列車を乗り継いで新潟まで会いに行ったことが俳句に夢中になったきっかけである。虚子を新潟に招いて、句会を共にすることができたこともみづほのお陰であった。
 やがて、農家の三男の念腹は、ブラジルへ入植者として移民することに決めた。昭和2年3月下旬、ブラジルへ赴く念腹へ、高浜虚子から餞の一句〈畑打つて俳諧国を拓くべし〉が贈られている。高浜虚子著『贈答句集』収集。

  雷光や天地創造かくもありし  奥田智久 『名句もかなわない子ども俳句170選』あらきみほ編著
 (らいこうや てんちそうぞう かくもありし) おくだ・ちきゅう

 ノンちゃんもお母さんも、雷が鳴り出すとマンションのカーテンも窓も開ける。近くで鳴る音はさすがに怖いが、雷光は線香花火の火花に似ている。
 一家の住んでいるのは関東平野の真ん中あたり。山もなく空は広々としているから、雷光も天を自由に転げ回るのだ。
 「きれいだねえ!」と、自然の美しさに惚れ惚れする。