第九百二十五夜 清崎敏郎の「滝」の句

 今宵は、夏の季題「滝」の句を紹介させていただこう。

  滝落したり落したり落したり  清崎敏郎 『凡(はん)』平成3年刊
 (たきおとしたり おとしたり おとしたり) きよさき・としお

 清崎敏郎の作品にまとめて触れたのは、私の所属する結社誌「花鳥来」で、清崎敏郎の第5句集『凡』の特集の中で一句鑑賞をさせていただいたのが最初であった。
 私の鑑賞は次のようである。

 全長133メートルもの高さを流れ落ちる那智の滝の句である。「落したり」の措辞を重ねることにより、滝を見る私たちはほとんど無意識に、滝の流れに沿って目の動きを繰り返していることに改めて気づかされる。
 『花鳥諷詠の論』の著者の俳文学者大輪靖宏は、清崎敏郎の第4句集『系譜』にある〈目に止る速さに滝の落ちにけり〉に触れて、「目に止まる速さに落ちるのが、滝の水の落ち方の真の姿である…」と述べている。

 「目に止まる速さ」の滝頭から滝壺までを一流れとして、その一流れが繰り返し落ちていると、見て取ったのだ。この「目に止まる速さ」は写生により把握した固有の視点である。しかし、平成3年に詠んだ那智の滝の作品では「固有の目」すら、敏郎は、意識的に消し去ったかのようである。
 
 「落したり」と同じ措辞を3回繰り返すことによって、敏郎は、那智の滝を表現した。滝は止まることなく、次から次へと落ちる滝の豊かな水量も、滝の落下の長さも、「落したり」で十分に伝わってくるから不思議である。
 「落ちる」でなく「落とす」という他動詞へと変化していることも、見逃してはならない重要な視点であろう。
 
 自然を写生し自然を詠む客観写生であるから、自然が主役であるから、「落ちる」と自動詞であってよい筈である。では何故、敏郎が「落とす」と他動詞にしたのだろうか。
 滝の流れは、もはや滝自身の力ではない。無心になったときに現れて気づかせてくれる存在、すなわち大いなるものの御業(みわざ)であるに違いないという考えに、敏郎は至ったからなのではないだろうか。
 
 句集『凡』のあとがきで、敏郎は「凡」という字について述べている。
 「天地間の万物を包括することを意味するという。そこから全ての事、常のもの、ありふれたこと、世俗的であることなどといった意味がでてくる」と。
 
 また次の言葉は、虚子が「玉藻」の「立子へ」欄に書いた言葉である。
 「あなたは平凡の価値を解しているようである。これは大した事だ。」

 敏郎の「無心」と、虚子の言われた「平凡」、そして虚子の「花鳥諷詠」は、どこか関連がありそうな気がしている。

  滝の上に水現はれて落ちにけり  後藤夜半 『翠黛』
 (たきのえに みずあらわれて おちにけり) ごとう・やはん

 母の亡くなる1年ほど前に、母の生まれ故郷の大分県の竹田に連れて行った。母の姉である伯母は母よりずっと若々しく華やいでいた。伯母や従兄弟と一緒に竹田城址に上り、遠くに阿蘇連山を眺め、広大なチューリップ畑を見、沈堕の滝にも行った。
 
 川沿いの道を下ってゆくと、そこが沈堕の滝であった。川沿いを歩いている時には、すぐ先に滝があり、水が音を立てて落ちているとは思われないほどの穏やか流れであった。
 この滝を見たときは、私は、後藤夜半の有名なこの作品を思い出した。
 
 掲句の〈滝の上に水現はれて落ちにけり〉と同じような、水のゆったりした流れが見えてくるように感じたのであった。

 後藤夜半(ごとう・やはん)は、明治28(1895)年大阪市の生まれ。大正12年より「ホトトギス」に投句して高浜虚子に師事。〈牡蠣船へ下りる客追ひ郭者(くるわもの)〉など、浪花の情趣あふれる作品も多い。後藤比奈夫の父。夜半の弟は喜多流の能楽師喜田実。「諷詠」を創刊主宰。