第九百二十九夜 小3 羽根田幸治くんの「汗」の句

 高校時代のこと、体育館には各学年、各クラス、各自のロッカーが具えてある。毎回、体育着を持ち帰って洗濯するのは面倒なことであった。冬季や涼しい頃には問題はないのだが、蒸し暑さのはじまった6月か7月のことだ。授業の後に体育着を持って帰らなかったことがあった。次の体育の時間にロッカーを開けると、汗の匂いがした。授業に出るには、これを着ないわけにはいかない・・! しかも隣のロッカーの人が、顔を近づけてきたのだ・・!
 
 「汗」というと、私は、この時の苦い思い出が蘇ってくる。

 今宵は、「汗」の作品を紹介してみよう。

  叱る父しかられるぼく汗をかき  小3 羽根田幸治 
 (しかるちち しかられるぼく あせをかき) はねだ・こうじ

 子どもが生まれて初めて、人は親になる。練習もしないまま親業をスタートするのであるから、本当は失敗の連続である。中でも、一番むつかしいことが叱ることである。じぶんが子どもだった頃、お父さんやお母さんから叱られたことを思い出しながら叱り、だんだんに親になってゆく。
 
 今日は小さな二人が喧嘩して、叱られて、お父さんの前に座らされている。澄み切った、真剣な四つの目が、お父さんの目をじっと見ている。
 
 どちらを叱ろうか、どちらを叱るべきだろうか・・お父さんは四つの目をしばらく見ていた。そして、えーい! やっと心を決めたお父さんは、二人をぎゅーっと抱きしめて、言ったのであった。
 「さあ、もう喧嘩をしてはいけないよ。なかよくするんだよ!」

  汗の人ギューッと眼つぶりけり  京極杞陽 
 (あせのひと ぎゅーっとまなこ つぶりけり) きょうごく・きよう

 京極杞陽は、明治41(1908)年、東京生まれ。昭和56年、73歳没。但馬豊岡藩14代当主。関東大震災により家族を失う。昭和11年、虚子訪欧の歓迎会に出席。その折に詠んだ〈美しく木の芽の如くつつましく〉が縁で「ホトトギス」に投句するようになる。
 杞陽のこの一句は虚子に鮮烈な印象を与えたという。
 虚子は帰国後、「ホトトギス」(昭和12年12月号)の「青邨君」という文章の中で「伯林俳句会の席上で私の注意を惹いた一人の若い人がありました。」と、杞陽のことを書いている。

 杞陽俳句は、この時代の男性俳句には見かけなかった質の作品であった。
 虚子は新しい才能を見出したことがうれしかったのだ。この句が機縁となって、杞陽は虚子と生涯の師弟となった。
 次の作品は、「ホトトギス」で評判になったものである。
  都踊はヨーイヤサほほゑまし  昭和12年
  香水や時折キツとなる婦人  昭和12年
  スキー術変な呼吸がいゝ呼吸  昭和14年

 掲句〈汗の人ギューッと眼つぶりけり〉もまた、見たまま感じたまま心の動きのままに詠んだように見え、素直で平明な言葉からは、情景が見え、明るい心持ちがすうっとこちらへ響き伝わってくる。
 この「汗の人」から私は、中学時代の社会科の先生を思い出した。真夏の午後の5時間目のことで、1コマ45分の授業を、源平の闘いなど話の内容が興に乗ってくると喋りっぱなしの先生であった。私たちも楽しいのだが、先生が、汗をかきながら話し、眼をぎゅーっと瞑って汗を飛ばしていることに気づくことがあった。

 今宵は、あらきみほ編著『名句もかなわない子ども俳句170選』から2句を紹介させていただいた。