第九百三十五夜 あらきみほの「蓮開花」の句

 平成11年7月17日の朝、電話が鳴った。声の主は、中尊寺円乗院住職の佐々木邦世さんであった。
 
 「ハスの花が咲きました。明日の早朝が見頃です。まだ、一般の方は誰も見ていません。」

 じつは7月の初めに第一花が咲いたそうである。その折りにもお電話をいただいていたので、次に「咲きました!」という電話があったときには、何曜日であろうと、その日の仕事を全て後回しにしてでも、見に行こうと、夫と私は決心していた。
 句集『ガレの壺』を上梓して以後、2年間というもの自分でも呆れるほど、俳句に情熱を失ってしまっていた。私は、自分を奮い立たせてくれる何かが起こるのを待っていたのだった。
 
 準備を整えて真夜中の12時に出発した。わが家にやってきた黒ラブ1号のオペラは、息子が面倒を見てくれるという。最初の運転は娘、次に夫、翌日の帰路を運転する順番となった私は、後部座席で横になった。エンジンの規則的な響きの中で、ゆらゆらと頭に描くのは、八百年の眠りから醒めたという蓮のことばかり・・。どんな花であろうかということばかりであったが、能面「孫次郎」がふっとよぎった。

 4時頃、仙台を過ぎた頃から明るくなり出した。今日の予報は雨。雨は降ってはいないが、一面の霧の中である。梅雨末期の万緑が灰色がかって、私たちはうす煙りの中を漂っているようであった。前方の車のテールランプだけ霧にうっすら滲んで見える。
 視界30メートルほどのハイウェイ沿いの土手に、大輪の鬼百合が次々と現れては過ぎていった。
 
 一関インターを降り、4度目の中尊寺へと向かった。
 1度目の中尊寺は、大学時代に友人達とがやがやと通り過ぎた。
 2度目は昭和63年に薪能を観に行った時である。山形の陶芸家の家で夜明けまで友人たちと飲んで騒いでドライブしてきた後の中尊寺での観能であった。鼓も笛も謡も舞も、深い杉林の真闇に浮かんだ夢の出来事のようで、半分はうとうととしていた。その時が私のお能初体験である。
 3度目は、2年前の2度目の中尊寺でのお能であった。この頃には、深くて捉えどころのないお能にも、俳句にもどっぷりと浸かりかけていた。「黒塚」と「一人静」の演目が主ではあるが、伝統芸能と現代を結びつけることに躍起になっているエネルギッシュな狂言師野村萬斎に魅かれ、そこに私が俳句をやっている意義を見つけたりして、萬斎を追いかけ、やはり真夜中のドライブで出掛けたのだった。夜の薪能の開演までを毛越寺や達谷窟と見て回った。毛越寺の大蓮がうつしく揺れていて印象的であった。
 4度目は、平成11年の中尊寺行である。
 
 「ハスが咲きました!」
 とおっしゃる中尊寺円乗院住職の邦世さんの声は、どこまでも淡々として静かであった。この蓮の花は、秀衡の棺の中の、泰衡の首桶に副葬品の1つとして入っていた蓮の実が、八百年の眠りから覚めて花を付けたものであると説明してくれた。

 内海隆一郎著『金色の棺』を思い出した。
 中尊寺金色堂に安置されている棺に納められた藤原三代の御遺体を世に公開したのは、昭和5年の修復のために棺を内見した一人、中尊寺円乗院住職で中尊寺執事の佐々木実高氏である。戦時中に荒廃した中尊寺をいかに立て直すかに苦心する僧侶の一人実高氏と、学術調査の計画を立ててミイラを公開しようと情熱を燃やす新聞記者が、協力して苦難を越えて金色の棺を公開するまでの実録であるが、内海隆一郎氏はミステリータッチの小説のような作品に仕上げていた。

 そして佐々木邦世さんは実高氏の次男であり、内海隆一郎氏は邦世さんの姉の栄子さんとご夫婦である。

 もう一度『金色の棺』を読み直した。蓮の実のことに触れていたかどうかを確認するためである。調査団の一人、大賀一郎氏はオニグルミ、モモ、ウメ、ヒエなどの種子だけ言及しており、ハスの種子のことは書かれていなかった。

 その後のことが、中尊寺仏教文化研究所の主任である佐々木邦世氏の近著『平泉中尊寺ーー金色堂と経の世界』(吉川弘文館)に書かれていた。大賀博士は蓮の実を研究室に持ちかえり、一層の精査をする予定であったが未完のままとなっていたのだ。
 大賀博士の没後に種子は中尊寺へ返還された。中尊寺はその後、棺の中から採取した蓮が「発芽しないものかどうか」を実験的に播種育成をしてほしいと、故大賀博士門下に依頼したのであった。

 平成5年、故大賀博士門下のもとでハスの種子が発芽した。開花への期待は膨らみ、更に待つこと5年を経て、平成10年に研究所で開花した。
 そして、平成11年に初めて、蓮根の形で中尊寺へ戻り、月見坂の測道を登っていった水田の、柵で囲われた一角で大切に育てられ、蓮は見事に開花したのであった。
 「中尊寺ハス」と名付けられた。
 
 5時半頃、私たちは邦世さんと約束をした水田脇に到着した。回りは青田である。老鶯がくっきりした鳴き声を繰り返している。杜の森からは蜩が円を描くように鳴いている。柵の中に4、5人いて、蓮にカメラを向けたりスケッチをしている人もいた。蓮は一花だけ咲き、他に3つほど大きな莟があった。蓮は、いつも見慣れた花よりも小振りだ。ピンクというか淡紅色というか、凛とした、清楚な、無垢の美しさを具えた花である。花びらは少し肉厚で、しっかりした形をしていた。

 到着した時は、5分咲きほど、じっと見詰めていても気づかなかったが、やがて花びらがだんだん反り、雌しべ雄しべが見えてきた。蜂が寄ってきた。蜘蛛も糸を花へ延ばしていた。甦った蓮には、再び、生きるものの営みが始まっていた。

 邦世さんとの約束の時間は7時、私たちが蓮の花を見はじめたのは5時半からであったけれど、本当はもっと早くから、開花の時間をすべて共有したかった。1時間ほど蓮と向き合ってから、金色堂や白山神社能舞台へ向かった。雨催いのうっすらと霧に覆われた杉の高木の境内は、昼間の賑わいとかけ離れた静けさの中にあった。泰衡に想いを寄せていると、蓮の精が舞い出るかのようであった。
 
    中尊寺 三句
  実のとんで時空をとんで蓮開花  
  蓮かこむ透明なこゑ二三言  
  朝粥の窓にみどりの風立ちぬ
      八百年を経て蘇った中尊寺ハスの初開花に招かれて

 今宵、令和4年7月20日に書いたものは、平成11年に中尊寺ハスを最初に見せていただいた時のものである。
 令和4年7月22日金曜日、5度目の中尊寺行きが叶った。中尊寺から戻ってから、「中尊寺ハス」のことを書く予定にしている。