第九百三十七夜 あらきみほの「雲の峰」の句

 今宵は、作りたてであるが、2日ほど悩みながら詠んだ作品の10句を紹介させていただこうと思う。
  
    中尊寺行           あらきみほ

 1・雲の峰とほまきにして東北道
 (くものみね とおまきにして とうほくどう)
 
 7月22日の早朝、夫が長崎で高校教師をしていた時代の教え子の佐藤尚くんが、中尊寺の旅に連れ出してくれた。不思議な縁で、私たち夫婦が東京に住むようになり、アパート住まいの頃も遊びにきたが、現在の茨城県守谷市に住むようになった頃から、私たちを伊豆や五浦、今回は東北の中尊寺の旅に連れ出してくれた。
 
 早朝4時半のスタート。予報では雨とある。
 掲句のように、入道雲が右手にも左手にも湧いていた。守谷市からハイウェイ常磐道から東北道へ入って北へと走った。真っ青な空の下を走るのもいいけれど、少しグレーがかった景色の中を走っているのも心が落ち着いて・・私は好きだ。
 様子を窺っているような雲の峰がハイウェイを遠巻きにしている。時々、雲は崩れて土砂降りになったり、また晴間を見せたりしていた。
 
 車で遊び回っていた私たちも、夫は79歳、私はもうすぐ77歳になり、2人だけで車で遊び回ることは娘から禁じられるようになっていた。バックして塀にぶつけたりなどの、小さなミスが大きなミスになる前に、ドライブを禁じられたのだ。
 
 パーキングエリアで、遅めの朝食兼早めの昼食を食べて、中尊寺に着いたのは10時頃であった。


 
 2・旅人となり中尊寺の杜若葉
 (たびびととなり ちゅうそんじの もりわかば)
 
 3・夏空や山号閑山中尊寺 
 (なつぞらや さんごうかんざん ちゅうそんじ)

 2の句、「旅人となり」と詠み始めながら、ああ、山口青邨の真似かしらと感じたが、10句で「中尊寺」の世界を作るためには、「旅人」は必要であった。

 4・かろらかや夏の法衣の身のこなし
 (かろらかや なつのほういの みのこなし)

 この日、中尊寺境内で待ち合わせてご案内してくださることになったのは、天台宗僧侶であり、中尊寺仏教文化研究所長であり、中尊寺円乗院住職の佐々木邦世さんである。
 
 佐々木邦世さんにお会いするのは、2度目であると思う。思う、というのは、邦世さんのお姉さまは、作家内海隆一郎の奥様で、東京の家に何度も遊びにいったことがあったからである。その頃に、お会いしたかもしれない。
 
 私がお目にかかった1度目は、「中尊寺ハスが、先日咲いて、明朝には2番目の花が咲きそうです。見にいらっしゃいませんか?」というお電話をいただいた。
 夫と私は、飛び上がらんばかりに喜んで、数時間後には、車に飛び乗り、夜明けの4時半には、中尊寺の月見坂の脇の水田の一角で、白い大賀ハスが咲きかかっている姿を見ることが出来たのであった。
 
 この水田で待ち合わせた邦世さん、その後、円乗院で朝粥をご馳走になり、お話した筈なのだが、25年後の7月22日に中尊寺境内でお目にかかった法衣姿のご住職さんとはかなり違っていたのか、当時のお顔が思い出せない。邦世さんも「荒木さんご夫婦・・!」と思ったかもしれないが・・。

 5・山滴る螺鈿細工の光堂
 (やましたたる らでんざいくの ひかりどう)

 6・オンバサラ千手観音すずやかに  ※オンバサラは祈りの文言  
 (オンバサラ せんじゅかんのん すずやかに)

 7・七月や紺紙金字一切経  
 (しちがつや こんしきんでい いっさいきょう)

 讃衡蔵(さんこうぞう)は、1955年(昭和30年)に開館した中尊寺と山内寺院の文化財を収蔵・展示する施設。 邦世さんの見事な説明によって、山口青邨の詠んだ作品の「紺紙金泥一切経」と「紺紙金字一切経」が同じものであることも判った。

 ここで様々の宝物を見てゆく中で、宝物を並べた場所の木枠(呼び方はこれで良かったかしら?)を見ている時、佐藤尚くんが、「ああ、この木枠ぴったりできている!」と声を上げた。邦世さんはびっくりしたように振り返って、「松井建設さん?」と訊ねた。
 「ここを作ってくださった松井建設さんの方ですか?」と、嬉しそうな声を上げた。
 
 佐藤くんが「寺社」の建設に携わっていることは知ってはいたが、この時、中尊寺とも関わっていたことを初めて知った。

 8・チチポポと聞こゆか昼の寺若葉
 (チチポポと きこゆかひるの てらわかば)

 9・みどりなる白山神社能楽堂   
 (みどりなる はくさんじんじゃ のうがくどう)

 私が薪能を観たのは、この白山神社能楽堂が初めてである。友人たちと上ノ山市蔵王に住む「不忘窯」の窯元の家で一泊した翌日に、夫と私は中尊寺の能楽堂へ向かった。遊び疲れた私たちは、お能のリズムは子守唄のように響き、うとうとしてしまった。
 
 今回、中尊寺では、住職の佐々木邦世さんから藤原三代からの寺院の文化財のことをお聞きし、代々の住職は皆能楽師でもあることを知った。あの日、邦世さんも舞台に立たれていたかもしれなかった。
 下山途中に白山神社能楽堂を見た。ライトアップされていない昼の能楽堂は、寂しさがあったが、ふっと囃子方の音色を聞いたように感じた。

 10・中尊寺ハス四半世紀を経て見ゆ 
  (ちゅうそんじハス しはんせいきをへて まみゆ)

 中尊寺ハスの咲いている小さな池があった。25年前に広々とした水田の一角で開花して「中尊寺ハス」は、もしかしたら広大な蓮池が作られているのではと、期待に胸を膨らませた此度の中尊寺行であった。
 
 中尊寺の坂を下った駐車場近くの木立に、ひっそりと、と思ったほど小ぶりの池に、中尊寺ハスは咲いていた。
 だが、四半世紀という長い刻を経て、中尊寺ハスに逢いに来ることができたのであった。美しい小ぶりのハスであった!
 もう今生に思い残すことはない!