第九百三十八夜 草間時彦の「青唐辛子」の句

 次の季題を何にしようかと考えていたら、畑から夫が青唐辛子をビニール袋にいっぱい摘んできた。私が苦手としてきた辛い食材の一つであった青唐辛子だが、摘みたての青さと艶と、中に詰まっている種が柔らかそうな手ざわりに、今宵の一品は天ぷらにすることにした。
 料理上手とは言えないが、油の使い方だけはまあまあ・・。長崎での夫の教師時代に、繁華街の高級天ぷらの店「天ひろ」を継いだ生徒がいた。彼のお父さんが亡くなられ、高校を中退して天ひろを継ぐことになった。少しでも応援しようと、繁華街の高級天ぷらの店「天ひろ」であったが、給料日など2人で食べに行った。
 
 目の前で揚げてくれるので、質問攻めにして、天ぷらのコツを少し教わった。青唐辛子も初めて食べた食材であった。唐辛子と聞けば「辛そう・・!」と思うが、そうではなかった。

 今宵は、「青唐辛子」の作品を紹介してみよう。 

  きじやうゆの青唐辛子煮る香かな  草間時彦『蝸牛 新季寄せ』
 (きじょうゆの あおとうがらし かおるかな) くさま・ときひこ

 「千夜千句」第六百八十九夜で、草間時彦の〈文学少女が老いし吾が妻茨の実〉の句を紹介しているが、食べ物を詠んだ作品が多い。
 〈冬薔薇や賞与劣りし一詩人〉〈甚平や一誌持たねば仰がれず〉と詠んだサラリーマン時代と結社誌を持つことのなかった時代も、〈さうめんや妻は歌舞伎へ行きて留守〉〈秋鯖や上司罵るために酔ふ〉〈大粒の雨が来さうよ鱧の皮〉〈公魚をさみしき顔となりて喰ふ〉など、食い道楽の夫を支えた奥様がいらしたからであろう。食べ物俳句を楽しんでいたように感じられる。

 掲句は、台所では青唐辛子を煮ている香がしている。生醤油(きじょうゆ)だけ、砂糖を入れることもなく、あっさりとした味に仕上がっている。夏の汗ばむころには、生醤油だけの味付けの方が、喉ごしが良いのであろう。

  青々とまびき束ねぬ唐がらし  西島麦南 『蝸牛 新季寄せ』
 (あおあおと まびきたばねぬ とうがらし) にしじま・ばくなん

 この作品は、畑で作っているのは、赤くなって辛くなる秋に収穫するつもりの唐辛子の、青々としたままの青唐辛子を敢えて、間引きして一束ほど収穫してきましたよ、となろうか。
 
 草間時彦の作品のように、生醤油で煮てもよし、天ぷらにしてもよし、甘辛く味噌で炒め煮にしても、なかなかに乙な酒の肴にも、ご飯のおかずにもなる。

  われを知る妻にしくなし葉唐辛子  冨安風生 『新歳時記』平井照敏編
 (われをしる つまにしくなし はとうがらし) とみやす・ふうせい

 きっと晩酌のつまみの一品として、富安風生の妻は、葉唐辛子を料理してくれたのであろう。うーん、気が利くやつだ! さすがに夫の食の好みを知り尽くしている我が女房だなあ、ということになろうか。

 「しくなし」は、使いこなしたことのない古語であったが、わが夫にも言わせてみたい一句である。