第九百三十九夜 高浜虚子の「明易や」の句

 今朝、吉川一平さんから、十年ぶりに夫婦で太平洋岸の二つ島に遊びにきています、というメールが入ってきた。
 私も、2年に1度ほど、茨城県北の五浦(いづら)へ行く。ここは岡倉天心が初めて訪れたときに気に入ったという海岸であり、天心はこの地に、六角堂を建てた。
 夫と20年ほど前に訪れたときは、確か六角堂は、戸を開けて入ることができた。夫は、かつて天心が横になって思索にふけっていたように、六角堂の中にしばし横たわった。
 
 今回は、扉は施錠されていて、中に入ることは叶わなかった。私たちは、六角堂の前に佇ち、20メートルはありそうな卯波の、繰り返し打ち寄せる音に耳を澄ませた。また今回ご一緒した佐藤尚くんは、夫のかつての教え子であったので、つい佐藤くん、と呼んでしまうが・・松井建設で社寺の建設や修復に携わる重要な仕事をしている方である。平成11年の大地震の津波では、壊れて流された六角堂の修復に携わったことを知った。
 
 波音を聞いていると心が和む。いつか、一平さんの素晴らしい声で歌う「ラ・メール」を、ぜひ聞かせてほしいなあ!
 
 今宵は、「明易し」の作品をみてみよう。

  明易や花鳥諷詠南無阿弥陀  高浜虚子 『七百五十句』
 (あけやすや かちょうふうえい なむあみだ) たかはま・きょし

 深見けん二先生に推薦を頂いている、あらきみほ著『図説 俳句』の中に、けん二先生のお宅を訪ねてインタビュー形式で4回、私の質問にお答えくださったページが入っている。
 その一つが、4回目の「花鳥諷詠」であった。大事な部分なので、先生の言葉をそのまま紹介させていただこう。
 
 けん二―――この句は昭和29年、私も参加して同席した夏の稽古会での作品です。
 その後、「玉藻」の研究座談会で虚子先生から花鳥諷詠を叩き込まれました。
 「この句は何がどうというのではないのですよ。信仰を表しただけのものですよ。我々は無際限の時間の間に生存しているものとして、明け易い人間である。ただ信仰に生きているだけである、ということを言ったのです。」
 
 「それ以来、私は、俳句を作りつづける上で、俳句とは何かということを考える時に、何時もこの句に立ち帰る生涯のテーマとなった句です。
 明け易い人間というのは、人の命は明け易く短くはかないことです。しかし、花鳥、つまり季題に宿る力といいますか、命というものは宇宙と一つで極めて大きい、いや無限と云えます。。その季題の力を信じて、俳句を作れば、自分の力、人間の力を超えたものが俳句に宿る、つまりそうした俳句が出来るという確信めいたものがあります。
 そのことによって一と刻でも、救われる、安心が得られます。
 人間には、また人生には、地獄のない極楽はありません。俳句は、その地獄あっての極楽を詠むものであり、その極楽を詠むことにより、ゆとりが出来る。しかも、誰でもが救われるところに、南無阿弥陀仏と同じところがあると思います。」
 
 私、あらきみほは、時折、虚子の言う「俳句は花鳥諷詠詩である」という言葉に、疑問に思うわけではないが、それだけではないとも思っている分からない部分もある。
 時折、原点に戻ってみようと、虚子の言葉を読み返している。