第九百四十夜 夏石番矢の「百合」の句

 茨城県守谷市に住む私が、大きなスーパーであるジョイフル本田の花屋で八重咲きの百合の花を見かけたのは、今年になって早々お祝いに差し上げることがあって、薔薇の花を探しに行ったときのことである。これまでは、薔薇の花束が一番ステキだと思っていたのに、八重咲きの百合の方に目がゆくのだった。真っ白でない、かすかにピンクがかった八重咲きの百合のゴ―ジャスなこと・・! それでも、プレゼントされる側の気持ちになると、薔薇の花束の方が喜ばれるかもしれない!
 
 少し迷ったが、友へ、八重咲きの白百合と薔薇を合わせた花束にして届けた。「この百合・・これまで見たことのない八重咲きなのね・・華やかさもあってステキよ! どうもありがとう!」と言ってくれた。
 
 春先から初夏まで、数人の友に贈っったのは八重咲きの白百合であった。娘もすっかり大人だけど子どもの日のプレゼントのケーキに添えて、やはり八重の白百合の花束を贈った。
 
 今宵は、「夏の匂ひ」「夏の香」の作品を、蝸牛社刊『秀句三五〇選 香』より紹介してみよう。

  さらばみちのく三本の百合は揺れず  夏石番矢
 (さらばみちにく さんぼんの ゆりはゆれず) なついし・ばんや

 「みちのく」は、東北地方の内陸から太平洋岸のことであるという。一週間前に私は岩手県の中尊寺へドライブしてきた。中尊寺もみちのくであったのだ。
 
 掲句に似た光景を、この時は、25年前に中尊寺に蓮の開花に逢いに行く途中に出会っている。夜明けのハイウェイのガードレール脇に百合の花が一本しずかに佇っている光景を、確かに覚えている。百合の花の茎はがっしりとして太い。どの車もかなりのスピードを出しているから、風が起こり、草は揺れているが百合は揺れていなかった。
 「三本の百合は揺れず」と、番矢さんは見て取ったのだ。、

  白扇を用いて山気そこなはず  上田五千石
 (ひおうぎを もちいてさんき そこなわず) うえだ・ごせんごく

 「山気」とは、山中に特有の、ひえびえした空気でさわやかな感じのこと。
 遊びに来た旅館で、作者の五千石さんは、窓も戸も開け放して夏山と真向かっているところであろうか。いつもするように、五千石さんは、おもむろに白扇を取り出して仰いでいる。
 
 山に涼みにやってきているはずの五千石さんは、暑いなあ、とでもいうように白扇であおぎはじめた。山は、山気を送って涼しさを、客人の五千石さんにもたらしていたのに・・と思うかもしれない。五千石さんは、そのとき山の心・・五千石さんを山気で饗そうとしていることに、はっと気づいた。