第九百四十一夜 相生垣瓜人の「風死す」の句

    風死す  『気象歳時記』平沼洋司著

 酷暑とは夏の暑さのピークをさすが、ではいつごろが一番暑いのであろうか。理科年表にある全国八十地点で最高気温の記録が出た日時を調べてみた。結果は八月上旬が最も多く三十六地点、次いで八月の中旬で十五。以下七月の下旬が十などだ。(略)
 こんな暑い季節を好きな人もいる。井上靖氏は「夏」という詩で”四季で一番好きなのは夏だ。夏の一日で一番好きなのは昼下がりの、あの風の死んだ、しんとした真昼のうしみつ刻だ”と書いている。
 そんなけだるい真昼の午後のいっとき、一陣の風が「さー」と吹き抜けることがある。先人が真夏にしのびよる次の季節を感じた秋風である。(以下略)
 
 今宵は、「風死す」の作品を見てみよう。

  風が死し草々も死を装へり  相生垣瓜人  平沼洋司著『気象歳時記』蝸牛社刊
 (かぜがしし くさぐさもしを よそおえり)

 夏の盛りに、まったく風が止むことで、耐えられない暑さの状態を「風が死し」という。あまりの暑さに野の草たちは風が吹かないから、揺れることも出来なくなった草たちは、まるで死んでしまっているように見えるというのだ。
 その姿が「死を装へり」である。

 相生垣瓜人は、明治31年生まれの昭和時代の俳人。「馬酔木(あしび)」同人をへて、昭和25年から静岡県で百合山羽公(ゆりやま-うこう)と「海坂」を共同主宰。51年「明治草」で蛇笏賞。「瓜人仙境」とよばれる独自の作風で知られた。昭和60年2月7日死去。86歳。兵庫県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

  ピラミッドの影の頂点風死せり  見市六冬 『蝸牛 新歳時記』
 (ピラミッドの かげのちょうてん かぜしせり) みいち・むとう

 ピラミッドに行ったことはないが、友人ヒロコ・ムトーさんのお姉さんのトシコ・ムトーさんが、エジプト旅行でピラミッドを巡るときラクダに乗ったという話を聞いていた。大きなピラミッドの底辺の長さが約230メートルだという。
 暑い砂漠のピラミッドを歩いて巡るわけにはいかない。見市六冬氏もラクダに乗って巡った。太陽の反対側にできるピラミッドの影の頂点までくると、そこは少しの風も吹くことなく、耐えられないほどの暑さの中であった、ということであろうか。

 見市六冬(みいち・むとう)は、大正元年大阪市生まれ。中村草田男門。但馬美作から継承の「五葉集」を主宰した。

  大法廷の視線一人に風死せり  知白  平沼洋司著『気象歳時記』蝸牛社刊
 (だいほうていの しせんひとりに かぜしせり) ちはく
 
 「大法廷の視線一人に」とは、裁判所の大法廷の被告席で、尋問に答えている人のこと。法定の後部には傍聴席が設けられていて、裁判によっては多くの傍聴人がいる。
 季語は「風死せり」。夏の昼間の法廷では、傍聴している人たちも、緊張と暑さで耐えられないといった限界の状態にいる。この状態を、作者は「風死せり」と詠んだ。
 
 中学時代であったと記憶しているが、新宿区の区立中学校では、歩いて行ける範囲に裁判所があって、学年全体で見学に行ったことがあった。裁判が行われている法廷ではなく、見学コースをぞろぞろ廻ったことを思い出す。

 知白は、本名斎藤知白(さいとう・ちはく)。明治4年ー昭和8年。採鉱冶金学を専門とし足尾鉱山に勤務、のち自ら大蔵、五万洞、信夫、茂世路の諸鉱山を経営した。はじめ秋声会に属したが、日本派に転じ子規に師事。大正6年創刊の俳誌「新緑」(のち「ましろ」と改題)同人となる。