第九百四十四夜 山尾玉緒さんの「炎昼」の句

 昨日も今日も最高気温が39℃を超えて、40℃になるかもしれないという予報である。犬のノエルのオシッコ散歩に近くの野原までゆくが、39℃近いという自分の体温以上の空気の中を歩いているというのは、おかしな気分である。犬も地面の暑さに驚いたようだ。

 ノエルの昼の散歩をしてきた夫が、いつもより早く戻ってきた。
 「今日のノエルは、なんどもボクの顔を見上げたよ! あの様子は、早く帰ろうよという目だった!」と言った。
 
 東京に長いこと住んで、その後、茨城県の取手市から現在の守谷市に住むようになった。人口も少なく、関東平野のど真ん中なので、なにしろ空が広々としている。
 こちらに越してから、この広い空の下で、この2日ほど、蒸し風呂に入っているような暑くてたまらないという思いをしたことはなかった。
 
 今宵は、「暑し」「炎昼」「日盛り」の作品を見てみよう。

  直角に曲る盲導板炎昼  山尾玉藻  『蝸牛 新季寄せ』
 (ちょっかくにまがる もうどうばん えんちゅう) やまお・たまお 

 「盲導板」とは、交差点や駅のホームやエレベーター、多機能トイレ、ホーム待合室には必ずある黄色の点字付案内板のことである。どのくらい前からあったのか、もう50年も前の学生時代に、通学していた山手線で気づいたのが初めてであった。点字付きなので、イボイボになっている上を、杖の人は探り探り歩いていた。
 
 しかも、上五中七の「直角に曲る盲導板」の通りで、盲人を導く道は、まさに曲がり角も直角であった。だが目の見える人にとっては、「直角に曲る」必要はなく、早めに曲る用意もできるし、たとえ違っても路線変更をすることもできる。
 
 盲人の一人歩きは、さぞかし勇気が要ることだと思った。急いでいる人にぶつかると、ぶつかった人がみな優しく接してくれるわけではない。都会を行き交う人は誰もが用事があって急いでいるからだ。
 
 山尾玉藻さんは外出先で、夏の暑い昼下がりに見かけた杖の盲人が、「盲導板」に差し掛かったとき、たまたま近くにいたのであろう。歩いている人は直角に曲がったりはしないが、盲導板は直角に置かれている。どうぞ無事に曲がって歩いていってください、という山尾玉藻さんの祈りと願いは、「直角に曲る盲導板」から反抗している言葉にも思えてきた。
  
 山尾玉藻は、昭和19年大阪市生まれ。岡本圭岳・差知子の長女。昭和58年「火星」同人. 昭和64年「火星」副主宰。平成7年「火星」主宰となる。
 

  広島市長真正面向く日のさかり  前田典子 『現代歳時記』成星出版
 (ひろしましちょう ましょうめんむく ひのさかり) まえだ・のりこ

 この作品は、夏も終わりの8月6日、暑い日盛りの中で行われている、広島忌の原爆記念式典での広島市長の後ろ姿を詠んだものであろう。式典は、川向うの原爆ドームを見上げる原爆碑の前で行われ、参加者一同が祈りを捧げている場面であろう。
 その碑に向かって真正面には広島市長が座っている。
 
 私は、2年前の2020年の8月5日に長崎県諫早市に住む夫の妹の家に娘を連れて、夫の故郷へ長崎旅行をした。
 旅の2日目の8月7日、まず向かったのが長崎市松山町の平和公園であった。8月9日には長崎原爆記念日が行われるので、公園内は準備で忙しそう・・私たちは当日の式典の様子は羽田空港から戻ったわが家のテレビで見たのであった。
 
 長崎市長が長崎原爆記念碑に向かって、演説をしていた。

 アメリカ軍のB29爆撃機エノラ・ゲイが、広島市上空約9600メートルで世界初の原子爆弾リトルボーイを投下し、上空約600メートルで爆発した。
 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分のことであった。この日を広島原爆忌とした。