第九百四十七夜 正岡子規の「秋に入る」の句

 今日8月7日は2022年の立秋。毎年のことなのに今年の立秋も、茨城県在住の私には、身体的には秋の気配を感じることはない。だがテレビニュースの映像では北国の秋祭りなどがあって、暑かった夏が過ぎてゆくのを、どこかほっとした気持ちを、明るく楽しく踊りで見せてくれているようであった。
 
 まだ暑い中にも、吹く風や流れる雲、流れている水の色も、梢の葉のそよぎの音も、どれも秋に向かう気配が感じられる。

 今宵は、「立秋」「今朝の秋」「秋に入る」の作品を紹介してみよう。


  草花を画く日課や秋に入る  正岡子規 『子規句集』
 (くさばなを えがくにっかや あきにいる) まさおか・しき

 13年前の2009年、私は友人と神奈川県立近代美術館で行われた企画展 文学館交流展2 「虚子没後50年記念 子規から虚子へ−近代俳句の夜明け−」 を観に行ったことがあった。忘れてしまったことが多いが、今も耳元に蘇ってくるのが、ぼそぼそと話している虚子の声であった。あるラジオ番組に出演した際に録音した声であるという。

 この企画展は「子規から虚子へ―近代俳句の夜明け―」 であり、子規の描いた草花の絵の実物を観ることができた。一番の印象は、色彩が美しかったことである。

 挿絵画家の中村不折から贈られた絵具で写生をはじめたのは明治32年の秋のことであった。モルヒネを呑まずにはい荒れないほどの脊椎カリエスの痛みが体中を走る。子規は「モルヒネを飲んでから写生をやるのが何よりの楽しみで」になり、「僕に絵が画けるなら俳句なんかやめてしまう」とさえ言ったほどである。初めて絵具を使って画いた「秋海棠」の写生から果物帖・草花帖など、子規の作品はおよそ百点、うち彩色画は50余点。
 
 掲句は、草花や果物を描くのが好きで毎日でも描いていたいほどであった子規の、本音であろう。
 
 寺田寅彦は、かつて、文展の全出品よりも子規のスミ絵一枚を採るといったほどのすばらしさであったという。


  かはたれの人影に秋立ちにけり  角川源義 『角川源義全集』
 (かわたれの ひとかげにあき たちにけり) かどかわ・げんよし

 「かわたれ」とは、「彼(か)は誰(たれ)時」のこと。あの人は誰だとはっきりと見分けのつかない、薄暗い時刻で、明け方をいう。夕方を「たそがれ時」というのに対して、「かわたれ時」は、多くは明け方をいう。
 
 掲句は、「かわたれ」という明け方の、だれがだれだか見分けがつかない頃に人影を見かけた時、夜明けが早かった夏は去り、もう秋が訪れたのだなあと感じている作者であった。


  立秋の紺落ち付くや伊予絣  夏目漱石 『漱石俳句集』
 (りっしゅうの こんおちつくや いよがすり) なつめ・そうせき

 秋を感じる季節になると、不思議と、着てみたい色彩と、自分に似合う色彩とがわかってくる。季節には色はないのに、着てみると、似合う色があり似合わない色がある。
 
 なぜだろう、秋になると柔らかい色は似合わなくなっている。きゅっと引き締まったような紺系統の伊予絣を鏡の前で当てたり試着してみると、似合うのだ。