第九百四十九夜 深見けん二の「朝顔」の句

     一輪の朝顔     岡倉覚三
    
 花物語は尽きないが、もう一つだけ語ることにしよう。十六世紀には、朝顔はまだわれわれに珍しかった。利休は庭全体にそれを植えさせて、丹精こめて培養した。利休の朝顔の名が太閤のお耳に達すると太閤はそれを見たいと仰せいだされた。そこで利休はわが家の朝の茶の湯へお招きをした。その日になって太閤は庭中をあるいてごらんになったが、どこを見ても朝顔のあとかたも見えなかった。地面は平らかにして美しい小石や砂がまいてあった。その暴君はむっとした様子で茶室へはいった。しかしそこにはみごとなものが待っていて彼のきげんは全くなおって来た。床の間には宋細工の珍しい青銅の器に、全庭園の女王である一輪の朝顔があった。
 (『茶の本』村岡博訳 ワイド版岩波文庫より)
 
 今宵は、「朝顔」の作品をみてゆこう。
 

  朝顔の大輪風に浮くとなく  深見けん二 『日月』
 (あさがおの だいりんかぜに うくとなく) ふかみ・けんじ

 掲句が詠まれたのは平成9年。自註現代俳句シリーズ『深見けん二集』には次のように書かれている。
 「これは題詠。昭和30年頃、朝顔の大輪を咲かせて頒けてくれるところがあり、その一鉢を提げ、虚子先生にお届けしたことがある。」と。
 
 この作品のポイントは、「風に浮くとなく」である。句意は、風が吹いているから浮いているということでもないのに、大輪の朝顔の花は浮いていましたよ、となろう。
 この大輪の朝顔は、柔らかな花びらが他の花びらに触れることのないように剪定された、見事な一鉢である。このような朝顔に育てることは至難の業であるがゆえの大輪の朝顔なのであろう。
 
 けん二先生は、立派な大輪の朝顔を咲かせている花畑から頒けてもらって、一鉢を虚子先生への手土産とした。
 

  朝顔の紺のかなたの月日かな  石田波郷 『風切』
 (あさがおの こんのかなたの つきひかな) いしだ・はきょう

 「朝顔の」「紺の」「かなたの」と畳みかけてくる叙法であり、古格と技法を兼ね備えた詠み方で、男ぶりの名句といわれる句である。ぐいぐいと惹かれる一方で、「朝顔の、紺の かなたの、月日」の、「かなたの」とはこれから向かう未来のことであろうか・・それとも、これまで様々に過ぎ来してきた日々のことであろうかと考えた。

 「の」で三つの名詞をつなぎ、リズムがあり、勢いが生まれる詠み方であり、17文字が息も付かせない。私には、「朝顔の」「紺の」「かなたの」からは、心弾む未来が感じられてくるのである。


  朝顔のしづかにひらく折目かな  片岡片々子 『ホトトギス新歳時記』
 (あさがおの しずかにひらく おりめかな) かたおか・へんぺんし

 片岡片々子さんは、かたおか・へんぺんしと呼び、「ホトトギス」の男性の作家であると思われる。
 
 この作品の凄さは、朝顔の莟のきっちり畳まれた「折目」を捉えたことであろう。折目のついた莟が、人間の目にはそれと分からないスローな速度で開いてゆく。どれくらい時間が過ぎたのだろう、次に気づいた時には開きかかっており、その次に見た時は朝顔の花になっていた。
 
 私は、25年前に岩手県平泉町の中尊寺で、大賀ハス(のちに中尊寺ハスと呼ばれるようになった)の開花の一部始終を眺めるという機会を得たことがあった。咲き始めてから一時間以上であったと思う。
 
 朝顔はもう少し短い時間であろうが、やはり動きはしかとは見えないのではないのではないか。だが「折目」の変化に気づいた片々子さんは、開くにつれて薄れてゆく花の折目に、「しづかにひらく」姿を見たのであった。