第九百五十一夜 正岡子規の「生身魂」の句

 8月13日の今朝のこと。目覚めるとまずカーテンを開けると、空一面が真っ赤に染まっていたのだ。わあっきれいと思いつつノエルを朝の散歩に連れ出した。いつもより早い時間であったので、いつもすれ違う散歩のおじさんもいなかった。だが空の色は刻々と変わり、あっという間に赤い空ではなくなっている。
 この空の染まり方は、水分を多く含んでいるということなので昨夜の予報で見たように、今朝の赤い空は、晴天になる前兆ではなく、雨も降る一日のようだ。
 
 今日からの13、14、15、16日までの4日間がお盆である。

 今宵は、「生身魂」の作品から見てみよう。「生盆(いきぼん)」という言い方があることを初めて知った。


  生身魂七十と申し達者なり  正岡子規 『新歳時記』平井照敏編
 (いきみたま しちじゅうともうし たっしゃなり) まさおか・しき

 「生身魂」とは、お盆には、先祖の御霊を迎えるとともに、生きている目上の者である生身魂を喜びこれからも長命であるよう、礼を尽くす。今も、蓮の葉にもち米飯を包み、鯖などの刺身を添えて贈ったり、物などを献じる。死者に対する供養ではなく、生きている御霊に対して行うものである。生盆(いきぼん)ともいう。

 掲句はこのようであろう。子規の生きていたのは明治7年から明治35年であったが、当時でも「七十」は長生きであったと思われる。現代では九十歳くらいであろうか。
 子規が歳を尋ねた人は「七十」と答えたが、とても七十とは思えないほど元気な方であったという。達者とはここでは身体が丈夫で元気であるということ。


  握り飯二個持ち家出生身魂  右城暮石 『蝸牛 新季寄せ』
 (にぎりめし にこもちいえで いきみたま) うしろ・ぼせき

 「家出」は、子どもや若者が両親に無断で家を出ていき戻らないことであるが、さて、この生身魂は握り飯二個持ってひょいと家を出ていったのだという。子どもであってもおじいちゃんであったとしても、「握り飯」をしかも「二個」持って家出したというのだから偉い! 歩けば「疲れる」し「腹がへる」という予測を立てて、準備を整えてからする家出は偉い!

 私も65年ほど昔に家出をしたことがあった。母に叱られたことが原因だが、私も母に腹を立てていたのだ。
 その家出は、朝から夕方までの時間で、しかも家出先は友だちの家であったから、夕方すこし暗くなってから帰宅しても母の言った言葉は、いつも通りの「あら、おかえりなさい!」だけ。すぐに夕食を整えてくれた。
 
 確かに「家出」の覚悟で家を出たのに・・、この「握り飯二個」を持ったおじいちゃんも、帰宅した時には「あら、おかえりなさい!」の一言で、いつもの帰宅と同じように迎えられて終わったかもしれない。
 
 「家出」が本気さを醸すのは大事(おおごと)のようだ。