第九百五十二夜 高浜虚子の「霊迎(たまむかえ)」の句

 今日はお盆の中日。わが家の生身魂である夫は朝から不機嫌で、私のすること一つ一つに文句をつけている。夫の母のキメコさんは57歳で亡くなられた。当時長崎県教育委員会副会長をしていた舅である父は、大家族を任せる妻が必要であったことから、直ぐにハルエさんと再婚し後添えとした。
 今、仏壇には57歳で亡くなったキメコさんの写真と、再婚して82歳で亡くなったハルエさんの写真が並んでいる。仏壇のキメコさんのお顔は年々若返ってゆくばかり・・皺一つないことに気づいたのは数年前だったかしら・・私よりずっと若い! 一方、ハルエさんは82歳で亡くなっているので、仏壇の中はすこし不思議な様相を呈している。
 
 私の方の父は平成9年に、母は平成17年に亡くなっている。あちらの世界の方が賑やかになっているかもしれない。
 
 今宵は、季語「迎火」「門火」「盆」から作品を紹介してみよう。


  風が吹く仏来給ふけはひあり  高浜虚子 『五百句』
 (かぜがふく ほとけきたまう けはいあり) たかはま・きょし

 深見けん二先生の元での虚子研究は、希望者8人による『五百句』輪講から始まった。各自が資料を探して調べてから出席するので、3ヶ月に1度のペースで、8人が、『五百句』から158句の研究発表を終えるのに8年を要した。後に、深見けん二監修「虚子『五百句』入門」として、一冊に纏めることができた。貴重な8年間であったと思っている。
 
 その中に、掲句も入っている。山田閏子さんが纏めたものであるが、一部紹介させて頂くことにする。当時、虚子の作品をこれから勉強しようという私は、まず、季題のないことに驚き、当日の閏子さんの資料と鑑賞を聞いて、こうした詠み方があることに驚いた一句である。
 
 掲句には次の詞書がある。
 「八月。下戸塚。古白旧盧に移る。一日、鳴雪、五城、碧梧桐、森々招集。運座を開く。」とある。
 この詞書にある古白は藤野古白、正岡子規の従兄弟にあたり、明治四年八月、愛媛県に生まれる。明治28年4月、古白はピストル自殺という衝撃的な死を迎える。
 その後、同郷でもある古白を偲ぶためであろうか古白の住んでいた下宿に移る。この作品はこの下宿で詠んだもので、門火を焚いている時の様子であろうが、虚子は「仏来給ふ」と叙し、下五を「けはひあり」とした。
 
 閏子さんは、さらに続ける。
 「それは常に虚子の気持ちの中に古白のことがあり、日常の生活においてもわずかな風にさえふと「古白よ帰っきたてのか」という思いがしたのではないだろうか。この下宿に移り住んだからこその措辞だと思う。「霊迎」という季題をそのまま使ったのでは虚子の古白への深い気持ちを表現するには不十分だったのである。」と。


  迎火やほそき苧殻を折るひヾき  渡辺水巴 『新歳時記』平井照敏編
 (むかえびや ほそきおがらを おるひびき) わたなべ・すいは

 苧殻は、麻の茎の皮をむいて干したもの。盆の供え物の箸につかったり、迎火や送火の時は、これを焚いて供養する。

 干した苧殻は、細くて軽くて折りやすい。迎火や送火を庭先で焚くときには、この軽さがじつにありがたいといえよう。