第九百五十三夜 松本たかしの「月見草」の句

 初めての地である茨城県取手市に転居してからのことだ。俳句をするようになっていた私は、時間さえあれば親孝行のように見えるかもしれないが、母と黒ラブ1号のオペラと一緒に、この新天地を車で駆けぬけ、吟行へ飛び出していた。
 
 月見草を見たのは、牛久沼の丘の上にある小川芋銭居の近くの、牛久沼の淵へと畑道を下ってゆく茂みの中であった。薄暗い茂みの中に黄の花が灯されたような明るさでそちこちに点在していた。
 月見草は、オオマツヨイグサ、マツヨイグサのこと。夕暮れ頃から咲きだして明け方に閉じる花である。母と夕暮れに出かける時は、夕飯はファミリーレストランに立ち寄ることが多かった。犬のオペラはレストランには入れないので、ドッグフードと水を用意していた。
 こうしてオペラは、1時間ほどであれば車内で待つことの出来る犬であったので、時折の散歩タイムを作りながら長距離ドライブにも連れて行くことができた。
 
 月見草ばかりでなく、箱根の芒原にも、つくば山の向こう側の「いばらきフラワーパーク」の薔薇園にも行った! 30年前の「いばらきフラワーパーク」では、頼みこんで、犬のオペラも入れてもらうことができたのであった!
 まだ長閑だったのかもしれない。 
 
 今宵は、「月見草」の作品を見てみよう。


  月見草蛾の口づけて開くなる  松本たかし  『新歳時記』平井照敏編
 (つきみそう がのくちづけて ひらくなる) まつもと・たかし

 夕暮れに咲く月見草と夜行性の蛾。夕暮れに咲きだす月見草の蕊をめがけるようにして、蛾が蜜を吸いに飛んできた。「開くなる」の「なる」は、別のものや状態に変わる、という解釈であろう。

 松本たかしは、月見草の蜜を吸っている蛾のすがたを「口づけしている」と見たのだ。やがて月見草は、ゆっくりと花を開きはじめる。


  月見草富士は不思議な雲聚め  河野南畦  『蝸牛 新歳時記』
 (つきみそう ふじはふしぎな くもあつめ) こうの・なんけい
 
 「聚める」とは、多くの物や人を一箇所に寄せ合わせる、まとめるという意味である。
 句意は、こうであろうか。
 月見草の咲き出す夕暮れ時、河野南畦さんが見上げた富士山のてっぺんには不思議な形をした雲が集まってきて浮かんでいましたよ、という。
 ネットで調べてみると、富士山頂付近の雲は、何段か重なった「笠雲」が多いということであった。
 
 茨城県守谷市からも、晴天の日など日本一高い富士山はよく見えるが、あの雲が笠雲であると気づいたことはないように思う。河口湖から富士山の裏側を通って三保の松原で行われた夜桜能を観に沼津へ向かう時であった。
 
 裏富士を見上げながらのルートは一面の芒原。一度車を降りて少し登ってみたことがある。その時に月見草を見かけた。
 裏富士には芒が似合うと、誰かが言ったように記憶しているが、どこか淋しげな月見草も、また裏富士によく似合っていた。