第九百五十四夜 あらきみほの「門火」の句

 お盆は終わったが、わが家の仏壇では、17日の姑のキメコさん、18日の夫の6歳で亡くなった弟忠司くん、20日の私の母フサと忌日が続いている。
 父は幼い頃に両親を亡くし、母は軍人の父を日露戦争に従軍中の支那で亡くしているが、二人とも熱心な仏教徒というわけではなかったというか、そうした祈る姿を見たことはなかった。
 仏壇に向かって熱心に祈る姿は、夫の父の後妻となったハルエさんの毎朝の姿であった。お盆になると6人兄弟とその家族が集まる。大きな長いテーブルを二つ合わせて食卓を囲んでいた。何品もの料理をすべて手作りしていたから、母を先頭に女性陣の忙しいことといったらなかった。食事を終えて、後片付けを終えると、全員揃ってお墓参りをする。
 
 ある年のお盆でのこと。暑さと慌ただしさに、後片付けを終えた私は、部屋の隅に横になるや寝入ってしまったらしい。皆はがやがやと、すこし離れたお墓へ参りに行くところであった。誰の声だったか、「みほさん、よく眠っているけど起こしましょうか?」、また誰の声だったか、「疲れて寝入っているのだから、そっとしておきましょう。」の声がした。
 
 東京杉並区の井草教会の向かい側の家に育った私は、讃美歌歌を聞いて育ち、青山学院高校に入学してからはずっとプロテスタントの道であった。

 今宵は、「門火(かどび)」の作品を見てゆこう。


  ちちははの道行ならば門火もゆ  あらきみほ  「花鳥来」平成18年
 (ちちははの みちゆきならば かどびもゆ) あらき・みほ

 二日前の15日の「千夜千句」では虚子の「風が吹く仏来給ふけはひあり」を紹介したばかりである。
 わが家も門火は欠かしたことがなく、夫と二人で、通り沿いの庭先で送火を焚いていた時であった。迎火や送火の門火には、ご先祖様を想い、亡くなったばかりの家人を想いながら燃やす火なので、門火にはその人の「けはひ」を感じさせるものがあるのだろう。
 
 この句は、平成17年に8月20日に私の母が82歳で亡くなった翌年の初盆にふっと詠んだものである。主宰の深見けん二先生からも採っていただいた。
 
 仲の良かった父と母であったので、娘の焚く迎火に呼ばれ、盆の終わる日の送火が消える頃には、手に手をとってではないが去ってゆく父母の姿を、浄瑠璃にある「道行」と洒落てみた。


  迎火のうすうすと地のこゑ水のこゑ  吉田鴻司 『現代俳句歳時記』角川春樹編 
 (むかえびの うすうすとちのこえ みずのこえ) よしだ・こうじ

 迎火を焚くと、いづこからとなく気配がしてご先祖様がもどってきているように思うのは、じつに不思議ではあるが実感でもある。
 「うすうすと地のこゑ水のこゑ」は、ご先祖様の霊は、霊魂であり魂魄という地から聞こえるこゑであったり、水の中から聞こえるこゑであったりなのであろう。
 
 私は未だ、感じたことも聞いたこともない「こゑ」なのではあるが・・。