第九百六十夜 石崎めぐみさんの「流れ星」の句

 流星とか流星群とか、興味をもって夜の高速道を走って、秩父まで出かけたのは、俳句をはじめてからであった。何でも自分の目で確かめなくちゃ、と思うようになったのは、深見けん二先生の「花鳥来」の一員になってからである。
 
 流星群がよく見えると聞いて、秩父へ走ったのはもう30年も前のことであったろうか、夫と娘と一緒だった。確か、秩父ミューズパークの広々としたアスファルトの庭に、他の人たちと同じように、大の字に寝て、夜空と真向かった。
 不思議な感覚・・! 私はどこに居るのだろうか ・・! 地球の日本の埼玉県秩父の大地に寝ているはずなのに、宇宙の一部になっている感覚なのだ! 不安になって、夫の手と娘の手をつかんだ。
 
 少し歩きだした。木の間に流れ星がシューっと走った。
 「あ~っ! 流れ星にぶつかる~!」
 秩父では、こんな一夜を過ごすことができた。
 
 今宵は、「流星」の作品を見てみよう。
 

  きれいだねきえてしまった流れ星  小2 石崎めぐみ 『名句もかなわない子ども俳句170選』
 (きれいだね きえてしまった ながれぼし) いしざき・めぐみ

 「次はぜったいここ!」と期待して濃紺の空を穴のあくほどながめていても、必ずちがう場所に流れ星はあらわれる。真上よりも地平線近くを剣のようにさっと飛ぶのだ。
 
 大空にはぽつんぽつんと流れ星があらわれるが、その度に、すぐそばの闇から歓声が聞こえてくるのでびっくり!
 あちらの闇にもこちらの闇にも、流れ星の見物人がいたのだった。


  流れ星われより飛びしごとくなり  平井照敏 『現代歳時記』
 (ながれぼし われよりとびし ごとくなり) ひらい・しょうびん

 中七下五の「われより飛びしごとくなり」・・似たような経験をしたことがあった。流星群が現れるというニュースを聞いて、ある夜、利根川の土手に上ってしばらく天を見上げていた。
 
 星が流れたのは、上空ではなく低い位置で、利根川の土手っぷちにいた時であった。あらっと思うほど間近・・横を向いた瞬間であったことを覚えている。「われより飛びし」であるなど思うこともなかったが、それほどに近くに感じた。


  大空の青艶にして流れ星  高浜虚子 『七百五十句』昭和30年 物芽会。大麻邸
 (おおぞらの せいえんにして ながれぼし) たかはま・きょし

 掲句は、濃い群青色の夜空に、流れ星が金色の光を煌めかせながら、落ちていきましたよ、となろうか。昭和30年、物芽会、大麻邸での作。
 
 『虚子俳話』の中の「天地有情」(一)に、次の文章とともにこの作品を含む5句がある。転載させていただこう。
  
 天地有情といふ。(科学は関せず)
 天地万物にも人間の如き情がある。
 日月星辰にも情がある。
 禽獣蟲魚にも情がある。
 木石にも情がある。
 畢竟人間の情を天地万物禽獣木石に情を移すのである。
 詩人(俳人)は天地万物禽獣木石類に情を感ずる。
 子規も嘗つてかういふ事を言つた。「人間は嫌いだ。こちらが十の情を以て対しても人は十の情を以て応えへない。草木禽獣の類は、こちらが十の情を以て対せば十の情を以て応へる。草木花鳥の類は好きだ」と。
 天地有情といふ。(遠き未来には科学もまたこれを認めるかもしれぬ。)
 
  大空の清艶にして流れ星
  星一つ命燃えつゝ流れけり
  母子星悲し悲しと流れけり
  星隕つる多摩の里人砧打つ
  星落つる籬の中や砧打つ
              (33・10・26)

 掲句の「青艶」は、表記は2通りあった。1つは、「青艶」の表記で『七百五十句』昭和30年9月9日にあり、もう1つは、「清艶」の表記で『虚子俳話』昭和33年10月26日にあった。