第九百六十一夜 草間時彦の「花火」の句

 昨夜の8月27日、全国花火競技大会「大曲の花火」が秋田県大仙市で行われた。久しぶりにテレビで観た今年の花火の色彩の美しさに、ことに感動した。
 以前は、赤や青や緑が多かったが、今年観た花火は、じつに柔らかなソフィスティケートなトーンで、色彩の統一を感じさせられた。そのトーンを、「ティファニーブルーの輝き」とも「黎明の昔」とも説明していた。

 父亡き後、一人になった母と暮らしたのは、私たちが、茨城県取手市に住むようになってからであった。すぐ近くに利根川が流れていた。
 母は賑やかな場所へ行くのが好きな人で、利根川大花火大会の日には、昼過ぎにはもう母はそわそわしている。仕方ないわねえ・・早いけど行きましょう! 広々とした利根川の土手に、私たちは10分も歩けば着いてしまった。
 花火の打ち上げの行われる河川敷で、土手の中腹の芝に茣蓙を敷いて、拵えてきたお弁当を、1等席の観客のごとく食べながら、遠く富士山に沈みゆく夕景を見ながら、花火の夕べを待っていた。
 
 今宵は、「花火」の作品を紹介しよう。


  まなうらに今の花火のしたたれり  草間時彦 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (まなうらに いまのはなびの したたれり) くさま・ときひこ

 「今の花火の」とは、大きな花火大会で打ち上げられた大輪の花火が、夜空に咲き終わった、まさにその瞬間の「今の花火」であろう。大輪の花は花屑のようにちりぢりになって、滴るようにゆっくりと落ちてゆく。
 
 掲句は、たった今開いた花火がしたたるように、ゆっくりと散って落ちていったが、その花火の散りざまは、今もなお、まぶたの奥にしたたり落ちているのですよ、となろうか。


  線香花火おどりつかれておちてきた  小3 梶本靖子 『名句もかなわない子ども俳句170選』
 (せんこうはなび おどりつかれて おちてきた) かじもと・やすこ

 夏の夜のたのしみは家族と一緒の庭花火。水をいれたバケツを用意して家の電灯を消した。すると暗い庭の、花火をもった手の明かりが、下から顔を照らし出したノンちゃんとタロくんの顔は、ちがう顔になったみたいだ。

 「まっすぐ、ゆらさないようにもつのよ。」と、お母さん。
 線香花火の小さな火花は、パチパチはねて、踊りつかれた、小さなカミナリさまみたい!
 でも線香花火の先っぽの火の玉はどんどん大きくなって、やがて火が消えて、地面にポトリと落ちるときには、涙のしずくのようでしたよ。


  街への投網のやうな花火が返事です  夏石番矢 『現代歳時記』成星出版
 (まちへの とあみのようなはなびが へんじです) なついし・ばんや

 「返事」とはどういうことだろうか。たとえば墨田川の花火を思い出してみた。数か所から時間をずらしながら打ち上げていたと記憶しているが、川沿いの街の住人にとっては、大花火が打ち上るたびに、自分の住居の真上に、投網のごとく覆いかぶさってくるように感じていたのではないだろうか。
 
 街の人たちが毎年のように待っていてくれる花火大会・・ドーンと打ち上げた大花火は、待っていてくれた人々への「返事」であると、番矢さんは捉えたのだ。「返事です」は、大花火から、観客へのお礼の意を込めた「投網」であったのだ。
 「投網のやうな花火」って、いいなあ! 
 
 花火は、人の心まで投網にすっぽりと捕らえてしまうから・・。