第九百六十二夜 藤後左右の「夏やすみ」の句

 夏休みの終わりに近づくと、小学生だった頃の年子の娘と息子を思い出す。問題は、親の言うことを聞く素直な子であるか否かではなく、夏休みの長さと勉強時間の長さを自分自身で考えて、計画的に実行できるかどうかであろう。
 と、今、偉そうに母の私は言っているけれど、小学校時代も中学校時代の私も、暑さと怠け心と時間を按配することは至難であって、その心をなだめるために、畳に寝転んで、小説ばかり読んで紛らわせていた。読書好きの私に父は優しくて、世界文学全集、ことに父も好きなロシア文学の本ならば、すぐに買ってくれていた。
 
 だが、夏休みの終わりは必ずやってくる。娘もそうだが、私も宿題は何とか時間内に間に合わせていた。問題児は息子! 息子の考えるギリギリまで手をつけず、ギリギリが母の目に余る日になってやっと、凄まじい勢いで始めるのだ。
 
 夏休みが終わる前日の、息子が宿題を終えた夕方の一枚の証拠写真が、わが家のアルバムにしっかり残っている。ベッドに向こう向きになって疲れ果てて眠ってしまった小学5年の息子の寝姿である。

 今宵は、「夏休み」の作品を見てみよう。


  城門を閉じて七高夏やすみ  藤後左右 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (じょうもんをとじて しちこう なつやすみ) とうご・さゆう
 
 「七高」は、全国にいくつもあるので、どこだろうと思いつつ、藤後左右の略歴を調べてみた。京都大医学部出身の医学博士。在学中の1928年より高浜虚子に師事。おおらかな俳句的表現に個性を発揮し、「ホトトギス」で活躍。〈蟇の貌チブス患者の夢にくる〉〈噴火口近くて霧が霧雨が〉〈何か言って滝を蹴ってるお嬢さん〉など。

 「七高」は全国にあるが、鹿児島大学は、第七高等学校造士館(旧制)のことである。明治34年に設立の、官立旧制高等学校。
 「城門」は城の門であるが、鹿児島鶴丸城は島津家第18代当主・初代藩主となる島津家久が建築した居城である。

 60年前のことになるが、大学の春休みに父母の故郷の大分県へ行き、さらに足を延ばして、父のかつての同僚であった友人の住む鹿児島まで行ったことがあった。はっきり覚えていたのが、鹿児島大学の城門である。「七高」をネットで検索していて、城門の映像に記憶が呼び戻された。
 
 掲句は「夏休み」だが、春休みの城門も閉じていたことを思い出す。父の友人の小父さんは鹿児島大学を卒業されていたのかもしれない。立派な城門であった。


  夏休み犬のことばがわかりきぬ  平井照敏 『新歳時記』平井照敏編
 (なつやすみ いぬのことばが わかりきぬ) ひらい・しょうびん

 小学校低学年の頃から、わが家には飼犬のいなかったことはなかった。犬は一度の出産で4、5匹は生まれるので、近所の家の人が「育ててほしいのだけれど・・」と、頼みにきていた。母も好きなので、「そーねえ」と言いながら手はすぐに仔犬を撫でていた。
 
 ペットショップで、黒のラブラドールレトリバーを購入したのは、娘がこの犬種が好きだからであるが、1頭目のオペラが13歳で命を全うし、2頭目のノエルが現在8歳である。ブリーダーから直接購入したノエルは、元気すぎて困るほどであったが、ようやく落ち着きが出てきて、言うことも聞くし、どうやら気持ちも通じているようだ。
 
 掲句の「犬のことばがわかりきぬ」とは、犬が人間のいう言葉がわかるとは反対で、犬のことば・・犬がこうしてほしいとか、犬はこんな風に思っているのだということを、人間がしっかり読みとっているということである。
 夏休みになって、大学教授をしている平井照敏も家にいる時間が多くなった。「ワンワン」「キャンキャン」としか聞こえなかった鳴き声も、顔に表情があり、手や脚や尻尾にも表情があって、それは人間の言葉と同じで、犬にも表現する「ことば」のあることが分かったのであろう。