第九百六十四夜 能村登四郎の「秋の夜」の句

 歳時記を見ると、「秋の夜」と「夜の秋」と似ているような季語がある。俳句を詠む時には全体の調べも大切なので、うっかり間違えてしまうことがある。間違えるのは、「秋」の文字が含まれているために2つとも秋の季語だと思ってしまうためである。
 だが、2つは違うのだった。
 
 「秋の夜(あきのよる)」は、まさにカレンダー通りの「立秋」以後の「秋」のことである。秋の日はみじかく、秋の夜はながい。虫の音が聞こえ、月の光、部屋の灯り、雨の音、読書のページをめくる音など、あらゆる物音が秋のしづかな気配に寂しさをそそるものとなる。
 江戸時代の『俳諧歳時記栞草』である『栞草』に「ものあはれなる余情に作るべし」とあるように、秋の心を代表するのが季語「秋の夜」である。
 一方「夜の秋(よるのあき)」は、まだまだ日中は暑く緑も茂り、周囲の風物は何も変わっていない。だが夜ともなれば、夏の終わりらしい寂しさも感じられ、秋の訪れを思わせる風が吹くことある。「夜」にが中心がある。

 今宵は、「秋の夜」と「夜の秋」の作品を見てみよう。

1■秋の夜
  
  子にみやげなき秋の夜の肩ぐるま  能村登四郎 『脚註名句シリーズ 能村登四郎集』
 (こにみやげなき あきのよの かたぐるま) のむら・としろう

 能村登四郎は、学校の教師であるが、夕方からは俳人として結社「沖」の主宰者として毎日のように句会の指導に出席していたと思う。
 子どもが幼い時など、とくに、土曜日にはお父さんは早く帰ってくると思っている。お土産もあるとうれしいな、と思っているが、句会などで遅くなるとお土産を買う店も閉まっている。
 
 少し足取りも重くなる帰り道ではあるが、玄関を開けるや、子は「おかえりなさい!」と飛びついてくる。父の登四郎は、子をひょいと抱えるや、肩ぐるまをした。光景が目に浮かぶようだ。お父さんに肩ぐるまをしてもらって、お父さんよりぐんと高くなったのだ。
 
 玄関には、お父さんを迎えにでたお母さんもいて、みんな嬉しそうにしている。家族にとってお父さんの一番のお土産は、元気に帰ってきたお父さんなのだから。
 肩ぐるまをしてもらった子は、俳人の能村研三氏であろう。お父さんの跡を継いで現在、「沖」の主宰者である。
 
 「秋の夜」は、夏休みが終わった9月の初秋の頃であろう。爽やかな秋風の中にいるような父と子の光景である。
 
2■夜の秋

  涼しさの肌に手を置き夜の秋  高浜虚子 『六百五十句』
 (すずしさの はだにてをおき よるのあき) たかはま・きょし

 昭和21年7月23日の作。「名古屋牡丹会員来る。小諸山盧。」の詞書がある。

 一瞬「涼しさの肌に手を置き」の言葉にドキッとした。だが、季語が「夜の秋」であるからには、ドキッとするような場面ではないにちがいないと思い直した。
 
 句意を考えてみよう。虚子は机に向かって、なかなか終わらない「ホトトギス」の膨大な投句の選句をしていた時のことであろうが、凝った腕をほぐそうとして、手を置いた瞬間を詠んだと思われる。
 疲れた腕は熱くなっているのではなく、晩夏の夜ともなれば昼間の暑さは消えてしまっていて、夜風がでてきて、自分の二の腕に触れてみた虚子は、思わぬほどの冷たさを感じたのであった。