第九百六十五夜 京極杞陽の「震災忌」の句

 大正12年(1923)9月1日11時58分32秒、関東大震災が起きた。

  関東大震災の夜  野尻抱影
  
 (略)何年生きていてもこんな凄愴(せいそう)な、悪夢のような光景を見られるものでないとは、誰でも考えたことである。私は余震にふるえる門際に立って、永い間その火雲を眺めていた。それはゆっくりではあるが絶えず貌(かたち)を変えていた。その中にある一角が、月光を浴びた氷山の断崖を思わすような姿と光に変った。火に映えているとは思えない冷たい青い光だった。
 するとそこの雲から、にわかに一団の星が吐き出された。一と目ですばる星だとわかったが、六つの星の一つ一つが火雲のいきれで妖しいまでにぎらぎら光り、かつ雲の動く錯覚から一方へ流れているように見えた。私は後にも先にあんなうつくしいそして不気味なすばる座を見たことがない。
 *野尻抱影(のじり・ほうえい)は、随筆家、星の民族学者、作家の大佛次郎は弟である。
 (『野尻抱影の本3 山で見た星』筑摩書房)(あらきみほ編『毎日楽しむ名文365』中経出版)より
 
 今宵は、「震災忌」の作品を見てみよう。


 1・わが知れる阿鼻叫喚や震災忌  京極杞陽 『くくたち』  昭和33年
 (わがしれる あびきょうかんや しんさいき) きょうごく・きよう
  
 2・電線のからみし足や震災忌  京極杞陽 『くくたち』  私の
 (でんせんの からみしあしや しんさいき)

 関東大震災で一度に祖父母、父母、弟妹を失ったショックは大きく、周囲も気を使ったが、杞陽も自ら語りたがらなかった。震災を詠んだのは45年余り経った昭和33年になってからという。2句ともに「ホトトギス」の巻頭となった。   
 俳句より先に、昭和15年8月号「ホトトギス」に書いた文章によると、杞陽は、次のような心の「闇」も抱えていた。
 「震災の日、東京の空に現れてゐたあの奇怪な凝り輝いた入道雲の下は、夜のような闇だつたのだ。(略)赤い明るい火の世界に黒く小さく乱れ狂つて人々は死んで行つた。」

 1句目、私が知っている阿鼻叫喚・・人々が苦しみ泣き叫ぶような、非常にむごたらしい状況・・というのは、まさに関東大震災で、父や母、弟や妹という身近な家族を一時に失くしてしまったことであった。

 2句目、逃げ惑うときに電信柱が倒れ、電線が足にからみついている光景を目の当たりにした。倒れた電信柱の電線には電気が流れていなかったのだろうか。


  万巻の書のひそかなり震災忌  中村草田男  『長子』
 (まんがんの しょのひそかなり しんさいき)

 宮脇白夜編著『草田男俳句365日』の9月1日は、関東大震災の記念日である。この書から、掲句は昭和8年の9月1日に詠まれたものであることが解った。宮脇白夜の文章の一部を転載させて頂こう。
 
 「(略)昭和8年のこの日、作者は成蹊学園の一教師として、新学期の授業開始前のひとときを、学園内の図書館で過ごし、この句を得た。図書館を埋めた数万冊もの書物が物音一つ立てずにそこにあった。その不気味な沈黙が、かえって自然による大災害の恐ろしさを想起させ、畏怖感を倍加させたのである。震災当時、作者は松山高等学校二年に在学中、またその一家も皆その大災害を免れた。従ってこの句には被災者のなまなましさはない。しかしここに示された”沈黙の恐怖”はあらゆる自然災害に共通して感じられるものであり、それゆえに普遍的であると言える。(略)」
 
 平成23年3月11日、東日本大震災が発生した。私たちは、14時46分18.1秒という大地震発生の時刻はきっと生涯覚えていると思う。昼食を終えて、夫は書店に行き、私はテーブルに、黒ラブ1号のオペラは隣室のソファでまったりしていた。
 
 突然・・グラグラ、グラグラグラ・・なんだなんだと驚くほどの横揺れがした。犬のオペラは私の足元に駆け寄ってきた。夫の部屋の書棚も廊下の書棚からも本は飛び出して飛び散った。1度目は、あーあ、と言いながら本を棚に戻した。2度目は、もうすこし待とう、と決め込んで整理はせずにいた。しばらくすると、近くの書店に行っていた夫が電話とともに戻ってきた。肝の据わった娘は、自室にこもったまま。息子は降りてきて、ガスが止まっていることに気づくや、友人たちとキャンプに行く道具を抱えてきてご飯を炊き、電気が止まった冷蔵庫の整理と言いながら、焼肉をしてくれて、その夜の夕食はなんとか凌いだ。

 暗くなって、外に出てみると、街中が停電で真っ暗闇であった。あの時ほどの黒い空と美しい星空は、スキー場でも見なかった漆黒であった。
  
    東日本大震災 3句 
  乳色の辛夷や地震の夜が明くる  みほ
  被災地の端つこにゐて春愁ひ  々
  水温む水の底より泡ひとつ  々
 
 このような句を詠んだが、季語の「震災忌」は、大正12年の関東大震災にかぎるということで、平成23年3月11日の東日本大震災を詠む場合には用いることはなかった。