第九百六十八夜 中村草田男の「林檎」の句

 大学Ⅰ年の音声学(フォネティックス)の時間のこと。確か、老教授であった。まずは、ア、エ、イ、ヲ、エ、オ、ア、ウと・・発音の練習を教授の言う通りに、私たちは声を揃えて、大きな声で発音の練習を繰り返していた。18歳の女の子は、ちょっとしたことで笑い出すという無慈悲な存在・・誰もがそうとは言えないが、私はそうだった。
 母音の(u)の練習だった。教授は、口を思い切りとんがらせて、(u)を発音し、「はい、皆さん、私の口元をよく見て、同じようにして発音ください!」と言った。私たちは、一斉に口をとがらせたが、急に可笑しくなって笑い出してしまったのだ。
 授業の中で、発音を美しくできるようになりたいと、音声学は好きであったが、そんな一齣が蘇ってくる。
 
 その教授が、女の子と男の子と林檎の話をしてくれた。このお話は、明日にでも書いてみようと思う。

 今宵は、中村草田男の作品を見てみよう。


  空は太初の青さ妻より林檎受く  中村草田男  『来し方行方』所収
 (そらはたいしょのあおさ つまよりりんごうく)

 草田男は、前句で「空は太初の青さ」と詠み、後句で「妻より林檎受く」と詠んだ。この2つの事柄によって、旧約聖書の世界では、太初に神が、アダムとイブという男と女をお作りになってこの世に送られたというくだりを思い出す。

 男には出っ張った部分があり、女には凹んだ部分があることに、二人は気づいたのであった。
 
 この作品は、昭和21年、敗戦の翌年の作である。前書には「居所を失うところとなり、勤め先の学校の寮の一室に家族と共に生活す」とある。明正寮は板の間で、部屋の真ん中には音楽家である妻のグランド・ピアノが置かれていた。とても手狭な寮生活ではあったが、愛する二人に不満はない。
 
 一歩外に出れば、太古の昔と変わらない青空があり、家の中ではテーブルの上で林檎を剥いてくれる妻がいる。草田男はアダム、妻の直子はイブ。終戦後の、誰もが同じ”無”からのスタートであった。
 
 妻の直子は、「あの人から俳句を取ったら何も残りませんから、大目にみているのですよ」と、編集者の宮脇白夜に言ったという。


  虹に謝す妻よりほかに女知らず  『萬緑』昭和15年作
 (にじにしゃす つまよりほかに おんなしらず)
 
 草田男自作の年譜の昭和10年の項には次のように書かれてある。
 「此年、所謂『見合ひ』を前後通じて十回に及ぶ。所謂『巡り合ひ』の一事の実演を信じて、他事一切を顧慮せざりしのみ。十二月、福田弘一の次女直子とホトトギス同人影山筍吉邸に於いて相会す」。
 彼の愛読したニイチエの『ツアラトウストラ』の中にはこうある。
 「結婚、と私が呼ぶのは、当の創造者よりもさらにまさる一つのものを創造しようとする二人がかりの意志である。そのような意志を意志する者として、相互に抱く畏敬の念を、私は結婚と呼ぶのだ」(氷上英廣訳)
 草田男はニイチエの教えに従って、そのような結婚を実現させるべく、見合いを重ねた。そして直子に巡り合ったのである。