第九百六十九夜 中村草田男の「撫子」の句

 7月ぐらいから、川原などに咲いているのを見かけるが、撫子は秋の七草の1つである。山上憶良が『万葉集』巻八で詠んだ二首の歌から、春の七草(七種とも表記する)とともに、秋の七草がある。
 春の七草は、せり、なずな、ごぎょう(母子草にこと)、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、をいう。
 秋の七草は、はぎ・おばな・くずばな・なでしこ・おみなえし・ふじばかま・あさがお(今日では、ききょう)、をいう。

 植物の好きな父が、近くの雑木林や野原に連れて行っては、七草を教えてくれたが、すべて揃っているのを確認できたのは、近くの赤塚植物園、少し遠くでは深大植物公園、小石川植物園などに行ったときであった。

 今宵は、「撫子」の作品を紹介しよう。  「撫子」


  撫子やぬれて小さき墓の膝  中村草田男  『母郷行』第6句集
 (なでしこや ぬれてちいさき はかのひざ) なかむら・くさたお

 草田男の母のミネが70歳で他界した。その折に百六十四句の「母郷行」の作品を得た中の一句である。
 作品の景はこうであろうか。「小さき墓の膝」とは、おそらく墓の一番下の台のことだと思われるが、その脇には撫子の花が朝露に濡れてしっとり咲いていたという。
 
 『草田男俳句365日』の中の、掲句の頁には、こんな風に解説されていた。
 「飽くことをしらない、内部生命の燃焼、制作意欲の昂揚が襲ってきて、いわゆる汾湧(ふんゆう)の時代に入ったことが注目される。それは力ある草田男ゆえの多作の時代である。(略)」と。

 草田男の作品は、ぐいぐい迫ってくる「何か」を感じさせるが、言葉で説明はできない。例えば、〈金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り〉の句では草田男は何を怒っているのだろうと思う。誰でも若き日には、言葉にならない不可思議な怒りに囚われてしまうことがある。女の私にも説明の仕様のない不可解な怒りはあったし、今もある。
 
 亡くなった母の葬儀の時に詠まれたⅠ句目であったことと、「撫子」という季語の力によって優しさに満ちている。


  人生のなつかしぐさの辺りかな  あらきみほ
 (じんせいの なつかしぐさの あたりかな) あらき・みほ

 友人の誕生日に色紙に書いて贈った句である。歳時記をいろいろ探していると、やさしい花の「撫子」の異名に「なつかしぐさ」とあると知って、長い付き合いであったこともあって、詠んでみた。
 私たちの年代も次々と、喜寿を迎える歳になっていた。60歳の「還暦」はまだ響いてくるものがなかった。70歳の「古希」もまだ若い気分があった。とこるが、「喜寿」と思った時、なんだか、私にとっての大きな峠を超える77歳であるかのように、迫ってくるものを感じたのだった。
 
 お互いに誕生日を交わしている友人はそれほど多いわけではないが、77歳になる前に、俳句を詠んで贈った。