第九百七十一夜 芥川我鬼の「菊人形」の句

 練馬区石神井公園駅を降りて10分ほどで、石神井公園に着く。公園沿いに西へゆき、通りを超えると三宝寺池である。さらに三宝寺池の脇道を上ってゆくと、池と同じ名の寺院・三宝寺がある。正確には、真言宗智山派亀頂山蜜乗院三寶寺。神社仏閣が立ち並んでいる。
 
 小学生の頃に住んだ杉並区の端にある家からは、石神井公園が近くて遊び場であった。その後、大泉学園に住んでいたが、ここからも西武線で駅一つという近さ・・私にとっては東京の故郷のような場所であった。
 
 今も行われているだろうか。三宝寺では、秋には地元の有志による菊花展が開催されていた。何度か通りかかったことがあったが、近くで職人の作る作業を見ていると、菊人形の本体は、段ボールや新聞紙のクズで作られていて、菊の花の短くカットした茎を衣装のように刺していたのであった。
 
 今宵は、「菊人形」展の作品を紹介しよう。


  怪しさや夕まぐれ来る菊人形  芥川我鬼  『芥川龍之介句集』
 (あやしさや ゆうまぐれくる きくにんぎょう) あくたがわ・がき

 夕暮れどきに、ふっと菊人形の置物を見かけたりすると、なにやら人形を超えた人の影のようにも感じられる。
 その正体不明の影は、怪しさを纏いはじめてくるのであった。

 しかも掲句の作者が、「我鬼」という俳号をもつ芥川龍之介であれば猶更である。大きな菊人形は、「誰そ彼(たそかれ)」・・あなたは誰ですか、と問いかけたくなる時間帯の「黄昏どき」に出合ったりすると、それこそ怪しい雰囲気を醸しだしてくるようではないか。


  胸もとの花咲き出でし菊人形  平野桑陰 『ホトトギス新歳時記』
 (むなもとの はなさきいでし きくにんぎょう) ひらの・そういん 

 菊人形は、菊の生花を短く切って、紙や藁で作った人形本体に菊の花を一つ一つ挿しながら出来上がってゆく。

 作者は、菊の花で作った菊人形を見たとき気づいたが、胸元のみぞおち辺りに挿してあった菊の花が、咲き始めていたではないか。着物の胸元はきっちり合わせて着こなしていないと、だらしなく見える。
 だが菊が咲いたことは、生きている花であればこその予期せぬハップニングであったのだ。
 しかし作者の平野桑陰はささやかな変化を発見しただけではなかった。そのハップニングを見つけ、取り出して、五七五の作品に作り上げたのであった。
 「ホトトギス」の俳人である平野桑陰氏の作品は、「写生とは発見、描写である」という高浜虚子の教えを実践しての一句であった。


  菊人形舞の時間を止めたまま  中学生 樋口響子  あらきみほ編著『名句もかなわない子ども俳句170選』中経出版
 (きくにんぎょう まいのじかんを とめたまま) ひぐち・きょうこ

 樋口響子さんは、菊人形展に行った折に、目に留まった菊人形は、舞っている時の一瞬の姿に仕上げた人形であった。
 響子さんには、菊人形が舞の時間を止めた映像のように感じた。テレビや映画などで、印象深い場面をスローモーションやストップモーションにして見せることがある。
 「舞の時間を止めたまま」と、じつに上手く捉えて、言葉にしている。