第八十六夜 草間時彦の「牡蠣」の句

  牡蠣食べてわが世の残り時間かな  『盆点前』
 
 草間時彦(くさま・ときひこ)は、大正九年(1920)―平成十五年(2003)東京生まれの鎌倉育ち。祖父も父も俳人。時彦は、「馬酔木」に投句し「鶴」の創刊に参加。水原秋桜子と石田波郷に師事した。
 会社勤務を二十五年間つづけたのち「鶴」の結社も辞め、代表句〈冬薔薇や賞与劣りし一詩人〉〈甚平や一誌持たねば仰がれず〉の通りに無所属を貫き、昭和五十三年から平成五まで俳人協会理事長、その間、俳人文学館創設にも尽力した。

 「俳句はその作者の生き方とかかわりのある時点においての芸術である。」と主張したように、時彦俳句は、食にまつわる俳句、飄々とした生と死の俳句、など独自の世界を見せてくれる。
 
 掲句の鑑賞をしてみよう。
 
 牡蠣は、「Rのつく月にかぎる」と言われ、September(九月)からApril(四月)までが美味しい。五月から八月までは牡蠣の産卵の時期で、身がやせ細っているからだという。こうした期限があるからだろう、牡蠣好きは、九月を心待ちにしているし四月には心残りのないように食べておく。

 老人になるにつれ、この好きな食べ物を、二度と食べることができくなるかのようにこだわる。食べ物にこだわるというより、わが世の残り時間へのこだわりであって、「死ぬまでにあと何回、牡蠣を食べることができるだろう」、つまり「食べ物=わが世の残り時間」のようにイコールなのである。
 そういえば、みな真剣な顔をして、すするように酢牡蠣を食べている。
 
 ふらんす堂から出版された文庫版の草間時彦句集『池畔』からもう一句紹介しよう。
 
  寒紅梅夕暮艶となりにけり  『瀧の音』以後
  
 『池畔』の最後に置かれた作品。寒紅梅に夕暮が訪れたというのは、夕日が一番美しく辺りを輝かせてくれる黄昏どきであろう。寒紅梅は夕日の中でさらに紅色を強め、時彦はそれを「艶」と言い止めた。〈夫婦老いどちらが先かなづな粥〉〈白地着て折目正しく老いにけり〉〈おいぼれにあらず吾こそ生身魂〉など、気弱になったり凛とした気力を見せたりしながら死を考えている作品が多い。筆者の私も、じつは「黄昏」の輝きを待っている一人だ。