第九百七十四夜 高浜虚子の「爽やか」の句

 9月14日は、漫画家の赤塚不二夫が生まれた日。誕生日である。赤塚不二夫は、漫画作品からも、生き方からも、命日を記すよりも、オギャーと元気よく生まれたであろうと想像したいから、誕生日がよく似合う。
 
 「トキワ壮」は、豊島区椎名町に1952年から1982年にかけて存在したアパートの名。漫画雑誌社「学童社」が、自社の連載を持つ漫画家をこのアパートに入居させた。手塚治虫、石ノ森章太郎、寺田ヒロオ、赤塚不二夫、藤子不二雄など後に有名になった。
 
 出版社「蝸牛社」を立ち上げて暫くして苦闘していた中で、ヒットした作品の一つが手塚治虫&13人による『トキワ荘青春物語』であった。売れると直接書店から取次経由で入荷依頼の電話がある。ある日の新宿紀伊国屋からの注文は500冊であった。売れている場合でも、大抵は平積み用としての注文は10冊なので驚いた。
 この年は儲かった! 大きな波はたいてい一年ほどで引いてしまう。こうした本が何冊も何十冊もあればよいのだが、全く願った通りにいかないのが出版である。だが、不思議と年に1、2回は波がくるから企画する側としては出版業は辞められないのかもしれない。
 
 『トキワ荘青春物語』を作った時は、すでに手塚治虫は亡くなっていて、お会いできたのは、石ノ森章太郎、寺田ヒロオ、赤塚不二夫、藤子不二雄の各先生方であった。
 その後、文庫版化して版を重ねた。手塚治虫&13人『トキワ荘青春物語― Playback Tokiwaso』蝸牛社、1987年6月/同・文庫判(1995年12月、ISBN 978-4876612666)である。

 今宵は、秋のまん中辺り、「爽やか」の季語の句を紹介してみよう。


 1・爽やかに屈託というもの無しに  高浜虚子 『六百句』昭和18年
 (さわやかに くったくという ものなしに) たかはま・きょし

 2・爽やかに皆面上げて真つ直ぐに  高浜虚子
 (さわやかに みなおもあげて まっすぐに)

 昭和18年9月26日 鹿郎祝賀会。白山招宴。上野伊香保での作。二句とも同日の作。
 昭和18年というのは、虚子は『正岡子規』を甲鳥書林から、『五百五十句』を桜井書店から刊行している。11月には、三国に森田愛子を訪い、金沢、永平寺、京阪、伊賀に遊んでいる。
 
 屈託とは、ある事が気になってくよくよすることである。屈託がないとは、気にかかることのないことであって、心はさっぱりしている、そんな爽やかな日々が訪れることは滅多にあることではない。
 
 全国に「ホトトギス」に投句してくる俳人はどれほどいるか知る由もない。だが俳誌は毎月の発行で、必ず順位が付いている。順位が上がった下がったは、俳人にとっては命に匹敵するほどである。
 虚子は、選が速いという。あまりの速さに、ハガキをぱらぱら落として、選に必要な枚数を拾っているのだとか、そのような噂も流れていた。
 だが、毎月何千何万人という作品を見ていれば、よい句と普通の句の選別は瞬時にできるという。また類想句も普通の出来の句も多いので、そうした句はさっと外し、今までになかった発想の句、新しい視点の句、言葉遣いの見事な句は、すぐさま見抜くことは出来る。
 そして、虚子には「選は創作なり」という言葉がある。
 
 虚子の作句と選句を考えてみた時、「選は創作なり」の言葉が、指導者としての確信の言葉であると納得できるように思えてきた。
 
 1の句は、こうしたことと屈託のなさとは、どのような関係があるのか・・だが虚子は、選をする場合も、「屈託というものなしに」自然にやってきたのであろう。
 2の句は、句会で師の虚子の話を、一言も聞き漏らすまいとして、虚子をまっすぐに見上げている皆の顔が、晴れやかですがすがしく、まさに爽やかであった。