第九百七十五夜 深見けん二の「曼珠沙華」の句

 丁度一年前の第六百七十一夜の「千夜千句」を読み返してみると、昨日の9月15日は深見けん二先生の命日であった。先生が亡くなられた日の翌日の16日、私は仕事を抜け出して、車を走らせ、一人で曼珠沙華の寺として有名な、常総市にある弘経寺を訪ねていた。

 常総市豊岡町にあり、正式名称は『寿亀山天樹院弘経寺』。創建当時は学僧を世に送った有力寺院であった、徳川家康公の孫の千姫の菩提所である。門を入るや曼珠沙華の叢がそちこちに広がっている中に、一本のほれぼれと見上げるほどの大木があり、「来迎杉」と命名されていた。
 この寺は曼珠沙華の花の名所なので、バスを仕立てて見に訪れる客も多いという。

 今宵は、「彼岸花」「曼珠沙華」の作品を紹介してみよう。
 

  蘂一つ一つに力曼珠沙華  深見けん二 『菫濃く』
 (しべひとつ ひとつにちから まんじゅしゃげ) ふかみ・けんじ

 一年前のこの日の弘経寺で、私は、亡くなられたばかりの師のこと師のこの作品を思いながら、蘂をつんつんと弾いてみた。
 花の1つに蘂の数は30-35本ほど。盛りの曼珠沙華は、蘂の先まで栄養がゆきわたり、針金の如くピンと張っている。まさに力が満ちているようだ。

 そうしてみたくなるほどの勢いの感じられる蘂であった。また、この句を詠まれた晩年のけん二先生の御活躍であった。掲句を詠まれたのは平成21年、師は87歳であった。
 
 平成3年、第4句集『花鳥来』により、第31回俳人協会賞を受賞。第6句集『日月』により第21回詩歌文学鑑賞を受賞、第8句集『菫濃く』により第48回蛇笏賞を受賞した。
 選評委員の宇多喜代子は、「深見けん二の句の淡い強さには、一朝一夕にはできぬ滋味があり、魂鎮めの力を感じさせた。」とし、片山由美子は、「写生という伝統的な方法により生きる実感を詠み続けてきた。その作品は平明だが平凡からは遠い。」と評した。
 御高齢になるにつれて益々の御活躍で、2つ目の句碑「人はみななにかにはげみ初桜」を建立された年でもあった。


  どことなく隣の庭も彼岸花 『もみの木』 2018年
 (どことなく となりのにわも ひがんばな)

 「どことなく」・・こうした副詞は、けん二先生の作品にいくつか見られるように思うが、「どこ」と明記せず、ある雰囲気の中やある光景の中に、「ある」または「居る」、ということは誰にも確かにある。
 
 掲句は、野や畑や道端を歩いていると、彼岸花をそちこちに見る季節になっていた。家の庭に下りると、庭の端っこや裏庭に彼岸花が咲くことがある。ふと垣根越しに隣の庭に目をやると、そこにも彼岸花が咲いているではないか。
 
 群れて咲いていることが多い彼岸花は、根っこで繋がっているのだろうか。次々に咲いて、次々にすうっと消えてしまう不思議な花の咲き様である。
 すうっと消える・・とは、枯れた茎や花が残っているのではなく、「消える」に相応しく、茎も花も根本から失くなってしまうことなのであった。