第九百七十六夜 檜紀代の「向日葵」の句

 父が庭に植えていた「ひまわり」は、大きく育った。家の向かい側の井草教会の日曜日の礼拝の帰りがけの人たちが垣根に近寄っては父によく話しかけていた。ツツジの垣根の内側には、いろいろな花が植えてあったが、夏には背高の向日葵が道行く人に大きな花の顔を見せていた。
 
 ウクライナの映画「ひまわり」を観たのは、二人の子どもが幼い頃であった。どうしても観ておきたい映画は、銀座の大きな映画館で観るに限ると、近くに住む母に子守をお願いして観に行った。大学時代の仲間が多かったが、一人の時もあった。「ひまわり」はムチョこと相澤紘子さんと観たと記憶しているが・・。哀しい場面では素直に泣く人で・・確か、ハンケチを貸して・・と隣席から手がのびてきたことがあった!

 今、戦争状態となっているロシアとウクライナのニュースを観ながら、映画「ひまわり」の冒頭の、広大なひまわり畑のひまわりが風に揺れる中を、駆けぬけてゆく・・ソフィア・ローレンの後ろ姿を思い出した。

 今宵は、「向日葵」「ひまわり」の作品を見てみよう。


  ひまわりにテストまんてんおしえたよ  小 わたなべ・えみ

 小学校と中学校の頃は、春の1学期と秋の2学期は中間テストと期末テストがあり、3学期はテストが1回であった。思い出すのは、小学校1年生の時のテストで、私は何も書かずに提出して0点が付けられたことであった。担任の先生は、私に居残りを命じ、なぜ何も書かなかったのか・・問い詰めようとした。私はだんまりを通した。
 
 もう1回あった。体操の時間に逆上がりができなくて、鉄棒の前で立たされて、先生から「やってごらん」と言われれば言われるほど意固地になって、とうとう暗くなり、下校の鐘が鳴り出して、時間切れとなってしまったこともあった。

 掲句はこうであろう。えみちゃんは満点のテストを持って、早くお母さんに見せたいなと駆け出すようにして帰り道を歩いていたときだ。うつむくように咲いている大きなひまわりの花が、えみちゃんに、笑いかけているように見えた。
 「わたし今日ね、テストで満点をとったのよ!」と、えみちゃんはお母さんより先にひまわりに教えてしまった。
 「そうかい、それはよかったね。」と、えみちゃんは、ひまわりの花がうなづいてくれたように見えた。
 
 ひまわりの花は、人の顔みたいに見えるときがある。担任の先生に素直になれなかったが、帰り道に見かけた、カヤツリグサやオオバコを摘んで、家に帰って、おばあちゃんと遊んだ。


  向日葵をふり離したる夕日かな  池内友次郎
 (ひまわりを ふりはなしたる ゆうひかな) いけのうち・ともじろう

 「向日葵をふり離したる」は、夕方のひまわりをじっくりと眺めていないと、気づかないことである。
 
 私がこのことを知ったのは、俳句を始めるようになって、取手のマンションからつくば市の洞峰公園まで、暇さえあれば吟行と称して、美味しいケーキ屋をめざして車を走らせていた頃であった。
 雑木林の立ち並ぶ一角から洞峰湖の西側を見ていると、湖の上を刻々と沈んでゆく夕日を感じることができる。雑木林の一本の木に当たってから夕日がどんどん木を登り、夕日が消えてしまうまで、その木を眺めているだけでいいのだ。
 夕日はどうなったかというと・・木のてっぺんまでゆくと、突然、夕日は木をふり離して、空へ消えてしまったのであった。
 
 木と同じように、向日葵に当たっていた夕日は、向日葵をふり離して天空へと消えてしまった。